解無き事

お題:別荘/なかのトド松その他小説

 トド松が、友人であるあつしの実家が保有する別荘に遊びに来たのは3日前、8月の半ばだった。普通丸とクソ助という共通の友人と計4人で向かった別荘は軽井沢の別荘地の奥にある古い洋館を改装した3階建てでどこか暗く薄気味悪い雰囲気があり、トド松は到着当初しきりに不安がったが、最初の一日目は特になんの問題もなくBBQや川遊び、近くのアウトレットモールへ買い物に行くなどして、酒が入ったこともあって笑いっぱなしのまま過ぎていった。
 松野家の六つ子は当たり前だが、こういったところに来たことはない。普段しない体験をして、ドライモンスターと呼ばれるトド松としてははしゃぎすぎているくらいだ。他人と3日間も寝食を共にすることは考えづらかったが、ほかの5人の兄弟を羨ましがらせるためだけに来て正解だったとトド松は思った。
「いや~ほんと最高だよあつしくん」
「松野、こういうの楽しんでくれないと思ってた」
「ボクもそう思ってたけど、来てみるとわりと楽しいね」
「ならよかった」 
 別荘には2つベッドが並ぶ客間が3つあって、2人ずつ別れて2部屋に泊まっている。そのほかにあつしの両親の部屋やあつし自身の部屋もあるのだが、折角だからとあつしはトド松と同じ部屋で寝ることにしたのだった。トド松はトド松で、やけに雰囲気のあるこの洋風の部屋にひとりで寝るのは辛いものがあったので、有り難い話だった。
 客間は、実にシンプルな作りだ。大きなベットが2つあり、簡素だが高級品なのだということがわかる机と椅子が一脚。姿見が入り口の近くに置かれている。部屋の広さのわりに小さな窓には黒いカーテンがかけられていて、窓の外には近くに流れる川が見えた。
 客間だけでなく全体的に窓の多くない作りなのだが、空気は悪くない。ここ数年使っていなかったと行きの車であつしが言っていたが、来てみたら掃除も行き届いていたしベッドも綺麗にセットされていた。大きな浴室も黴ひとつなく白い壁はぴかぴかだったので、整備はしっかりしていたのだろう。トド松は普段の煎餅布団からは想像できないくらいふかふかのベッドに体を沈めながら、満足でいっぱいだった。
「ほんと、至れり尽くせりだね」
「喜んでもらえたならよかった」
「部屋とかも使ってなかったってわりに綺麗だし」
「優秀なお手伝いさんがいるからね」
「は~お金持ちはいいね~。使ってない別荘整備するのにお手伝いさん雇い続けてるんでしょ?」
「まあ、そうだね」
「ぜいたくだよホント。そのおこぼれに与れてよかった~……」
 くだらない話をしながら、トド松はゆっくりと瞼を落とした。明日は山のほうに入る話になっている。花火も大量に買ってあるから、夜には花火だ。兄弟たちとはこういう楽しみ方はなかなかできない。毎日のようにこういう遊びをすると考えると億劫だが、たまになら良いだろう。1日、移動と遊びで疲れた体はすぐに意識を手放し、そして、その夜、トド松は夢を見た。
 女性が立っている。場所はこの別荘だった。どこからか男が現れ、女性の長い髪を強く引っぱり、そのまま、ちょうどトド松の部屋にあるのと同じ机に打ち付けた。ぎゃう、と、悲鳴が上がる。
 打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。そのたび、悲鳴が上がる。
 最後の悲鳴があがったところで、トド松は飛び起きた。最後の悲鳴はほとんど自分の悲鳴だった。嫌な汗が背中を伝い、心臓がばくばくと煩い。大きな声で叫んだような気がしたがトド松の隣のベッドで眠るあつしからは深い寝息が聞こえている。
 部屋は暗いが、先程の夢と同じ机がぼんやりと視界に入り背筋が凍えた。まさかこんな夢を見るとは思っておらず慌てて布団に潜り込むものの夢がやたらとリアルで頭から離れず、腫れ上がった女の顔がトド松の意識をすべて奪う。
 その日トド松は、目を閉じると、女の顔がちらついて眠れやしなかった。
「松野、疲れた顔してるね」
「やな夢みてさあ」
「災難だねそりゃ」
「今日山ほど遊んで忘れるよ」
「今日、山行くしね」
「あつしくんには残念ながらギャグのセンスはなかったみたいだね」
「それ以外のセンスがあるからなあ」
「うっざ~なにそれ!」
「はは、ジョーダンだよ」
「ジョーダンにならないからムカつくんだよ!」
 そして、その朝、大広間で顔を合わせた普通丸とクソ助は、誰がどうみても顔面蒼白だった。どうした、と、あつしが聞くと、どうやらトド松と同じ夢を見たらしい。
「うわ、なにそれ気持ち悪」
「俺はみなかったのになあ」
「ああ、見なさそうだもんね」
「まあ、朝飯食べて元気出してよ」
 そういいながらあつしが、どこからか皿を4つとサラダの大皿をひとつ、もってきた。トーストと目玉焼きが一皿になっているが、ごちゃごちゃした印象はなく、むしろ皿の美しさなんかも合間って、どこか外国の朝食のようだ。目玉焼きといっしょについているベーコンはかりかりで、サラダはしゃきしゃきといつも食べている野菜はなんなんだと思うほどに瑞々しく青臭さもない。
「なにこれすごくない?!ホテルかよ!」
「野菜うまいでしょ?」
「え、おいしすぎるんだけど。ドレッシングも手作り?」
「あー、うん、どうだろう」
 さっきまでグロッキーだったことすら忘れる旨さの朝食に、トド松もほかの二人も元気になってゆく。それをあつしはにこにこと眺めていた。

* * * *

 そこから、2日目も3日目も、特に何事もなく過ぎていった。あの女の夢なんてトド松もほかの二人だって忘れて、山や川や高原にはしゃぎ、あつしの力で女子とも酒を飲んだりして、馬にも乗って、トド松は大満足で3日目の夜、自分の家に帰ってきた。帰りの車中で、「どうだった?」とあつしが聞いてきたのに、「最高だった」と答えたのは嘘ではない。
「また遊び来てよ。喜ぶから」
 嬉しそうに言ったあつしに、トド松はなんと答えたか覚えてはいないが、トド松自身はそれでも色好い返事を返した。その証拠に、トド松は夜帰宅してすぐ荷物もそのままに、居間にいたふたりの兄を捕まえて珍しく事細かに感想を述べたのだった。それほど、あつしの別荘はたのしかった。あつしのもてなしの力も大きかったかもしれない。2日目の夜も豪華な食事がでてきたし、大きな風呂は1日目も2日目もちょうど良い温度で、ベッドはやっぱりふかふかだった。細かく気を使えるのもあつしの良さだ。普段トド松としては、そういうところが腹立たしかったりもするのだが、あのソツのなさは、こういうときは心地が良かった。
 それを聞いた兄ふたりは、驚いたように目を見開いた。
「朝食つきなんて豪華だね」
「トド松ばっかうらやましい。まあ男の手料理なんか食いたかねえけどさあ」
「おそ松兄さんはそうだろうね」
 しかし、トド松は、おそ松とチョロ松が好きなように言い続ける言葉に、疑問を抱いた。なんてことのない疑問だ。けれど、その疑問は、トド松の指先からじわじわと恐怖を染み渡らせ、トド松から言葉を奪った。途端に寒気がする。
「トド松ぅー?どしたー顔真っ青だぞ」
「う、うん」
「なに、具合悪いわけ?やばいって顔色。はしゃぎすぎて風邪でも引いたんじゃないの」
 豪華な朝食を、トド松は2回食べた。2日目の朝と、3日目の朝。そして2日目の夕食も、4人で、豪華な、スペアリブやパスタなんかを食べている。計3回あの場所で食べたが、トド松の頭にはぐるぐると疑問が回る。
 誰が、あの食事を作ったのか。
 あつし以外の2人でないことは間違いない。2日目の朝夕はあつしが食事を出してきてくれて3人一緒に驚いたし、3日目の朝は、トド松の後に普通丸とクソ助が寝ぼけ眼で大広間に現れている。タイミングや反応を鑑みても、彼らではない。大体人様の別荘で勝手に作るわけもないだろう。
 そうなると、作ったのはあつしということになる。別荘の主はあつしだし、今回のホストもあつしだ。事細かになにか問題ないかと3人を気遣っていたし、それならばなんら不思議ではなく、問題もない。だが、あつしではありえないのだった。
 2日目の朝も3日目の朝もあつしはトド松と同じタイミングで起きて大広間へ向かっている。そのあとすぐに作ればおかしくないかもしれないが、あつしが「朝食もってくるね」と言って大広間を離れたのはせいぜい1、2分のことで、すぐに4人分の温かい食事をもって戻ってきた。例え前日に作り置きしていたとしても、戻ってくるのが早すぎるのだ。
 いや、しかし、それでも。
 気味悪さを感じながら、たまたまだろうとトド松は頭を振った。ふたりの兄が不思議そうにしているのを無視してふらふらと2階へ上り、旅行から帰ってきたときのままの、楽しかった筈の思い出を詰め込んだバッグに手を伸ばす。なぜかはわからないが、楽しさを思い出したいとトド松は強く思い、この旅行のためだけに買ったボストンバックを開けた。
 そして、トド松は、叫ぶことも忘れて、それに釘付けになった。
 
 たすけ
 て
 
 くしゃくしゃの紙の端の方に、走り書きのように書かれた、ほとんど読めないような崩れた赤い文字。トド松は、それを文字を見つめることしかできなかった。人間は、恐怖に駆られると声も出ず、身動きもできなくなるのだ。
 誰がこの手紙をいれたのだ。普通丸かクソ助だろうか。荷物はずっと客室に置いてあって、客室にいない間はほぼ一緒にいたのだ。手紙をいれるタイミングはほとんどないと言っても良いだろう。二人はありえないわけではないが、可能性は低かった。それならば、同じ部屋に寝泊まりしたあつしだろうか?ただ、トド松には、どうしてもあつしとは思えなかった。トド松はあつしの字を見たことがあったのだった。綺麗な字で、昔、習字で賞を取ったらしい。手紙の文字が意図して崩されたわけでないとは言いきれないが、それでも、こんな悪戯をあつしがするとはトド松には思えない。なにせあつしは、ひたすらに、トド松が怒りや憎しみすら覚えるほどに、出来た人間なのだ。
 手が震え、吐き気がする。
 脳裏に、パッ、と、血に染まった顔の女が浮かんだ。1日目の夜、3人同じ夢で見た顔だ。よくよくみると、手紙の字は、口紅で書かれていた。誰も持っているわけがない、口紅の赤がトド松の頭に突き刺さる。じりじりと、無意識のうちに後ずさった。視線を感じ、顔をあげる。ほんの少しだけ隙間の開いたカーテン。
 赤が見え、トド松はそこで初めて叫び声をあげた。

 
 
 
 
 
 
 

「たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて帰りたい痛い帰りたいたいたいいいいいい痛い痛いいたいいたいいたいいたい」

 
 
 
 
 
 
 

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