弐号病棟肆階倉庫

お題:倉庫/ササジマ十四松小説

 十四松という男はまるで子供のように大体忙しなく動き回っているか殆ど動かないか、どちらかの事が多い。また、リアクションもややオーバー気味で、口を開けば手数の多いギャグが飛び出す男である。とにかく、良くも悪くも行動は子供のような男だ。そんな彼が骨折しているとは言え大人しくベッドの上で寝ている訳もない。兄弟もいない、病室で騒ぐのも野球をするのも、素振りをするのだって迷惑になるし危険だからと禁止されている。
 つまるところ、彼は暇だったのである。折れているのが腕とはいえ走り回るわけにもいかず、結局やる事と言えば食事の時間や治療や検診の時間以外の『退屈な時間』に院内を探索しがてら散歩していたのである。

 『松野十四松』と書かれた個室を出て左へ直進する。突き当りで階段を二階まで下りて右折、今度は向こうの病棟への渡り廊下を外の空気を感じながら歩いていく。渡り廊下を行き右手側には大きな姿見のある突き当り、左手側は廊下が続く。ここが『弐号病棟』と呼ばれる古い不気味な棟の入口だ。
 弐号病棟はこの病院の中で最も古い病棟である。それ故『出そう』と近所の人にも言われるほどカビなのかコケなのか分からない汚れで黒ずんでいて心霊スポット探索が趣味だという人間が稀に侵入したりしている程だ。この棟の入院患者も末期患者が多く、『あの病棟に入れられると死ぬ』などという噂も院内では有名だった。この噂も部外者が侵入してくる原因の一つだろう。病院側は入院患者が他の病棟に収まる数まで減り次第、弐号病棟を閉鎖して取り壊し新しい病棟を建てる予定だというが。
 十四松がこれらを把握するまでにかかった時間は入院して僅か時間。それほどまでに担当だという玉藻という看護師はお喋りが好きで、そして何より院内では有名な話であった。
「お……おぉ……。こ、これは……」
 ごくり、と唾を飲む。存外怖がりの次男や一つ上の兄、そして『お化けが怖い』と言い夜中に一人でトイレにも行けないらしい弟は……絶対に、駄目な奴だ。
「これマズいやつだ……ぼくでも分かる」
 まず、右折するとすぐに見えるこのシンプルな木枠に嵌められた姿見。高さ二メートルは有る筈だ。幅もほぼ廊下と同じ位。鏡なんて合わせ鏡だとか無いものが映っているだとか、怖い話の定番中の定番である。部屋に戻る時には鏡のせいで廊下が恐ろしく長く感じるだろう。
 鏡だけでも十二分に『ヤバい』空気を醸し出しているのにこの弐号病棟は嫌なところで徹底している。
 踏みしめた途端、みしり、とコンクリートだかなんだか分からないもので出来ている床が嫌に粘着質な耳に残る音で、もう無理!と悲鳴を上げる。『無理?こっちが無理だよ!』とトド松は半泣きで叫ぶだろう。どこを歩いてもさほど変わらず、強いて言うなら壁に沿って歩いた方が多少はマシ、という程度。病院支給のスリッパのペタペタという音と床の耳に張り付くミシミシという悲鳴が悪夢の凶演を果たしている。壁も天井も室内なのに黒ずんでいるうえ黴臭いのがそれに拍車を掛けていた。
 現在、弐号病棟二階。
 鏡を背に不気味な音を立てながら十四松は一人で廊下を進んでいる。左手側は白く霞んだ窓ガラスの向こうに自分に宛てがわれた病室のある七号病棟がぼんやり見える。右手側には病室ではなく擦れた文字が木材で出来たぼろぼろの表札に『診察室一』『調合室』などといった二階に有るのには少し違和感のある部屋が並ぶ。それらの部屋が途切れると階段が右手側にあり、下りの階段はロードコーンと警戒色のバーで通行禁止になっている。歩いてきた廊下よりも更に気味の悪い、今にも床が抜けそうな音を立てて階段を登っていく。
 階段の踊り場右手には、枠だけが残された何かがあった。恐らくは、姿見。枠のデザインも二階にあったものと同じようにシンプルな木枠だ。有っても意味がないし不気味なだけなんだから片付けるなりすればいいのに、と思う。空っぽの存在感が異質で、転ばないように足早に階段をかけ上る。あまり長居したい場所でない事だけは確かだ。一気に三階を抜けて四階まで階段を上る。上から探索していこうという魂胆だ。
 古い病院だと四階が無くて五階になっているだとか『**四号室』というのが無い――『四』を忌み数として部屋番号などに使わないことが多々ある。これは『四(シ)』が『死(シ)』と同じ音であり、死に通じるため不吉だからだという。一つ上の兄の『四男って縁起が悪い』というのはこれに由来するのだというのは一松本人が十四松に言った言葉だ。『五も地域によっては忌み数になるけど五と四は逆に縁起がいいっていいらしいよ、変だよね』とも。
 途中、三階と四階の間の踊り場でまた枠だけになった鏡を見た気もするがあの異質さが恐ろしくて見なかったことにした。

 『四〇四号室 小滑』

 階段を挟んで段ボールが山積みになっている倉庫の反対側、一番近くの病室には黒く変色したプレートに書かれていた。
 コンコン、ノックをしてみる。はめ込んだ曇りガラスが枠の中で擦れるせいでガタガタともギリジリともつかない耳障りな叫びをあげる。誰かがいるならこれだけ不快な音がするのだから返事があるはずだ。

――アァアーーィ……。

 まるでドアの唸りが人の喉笛から無理やり吐き出されたようなむごい音だった。
「……」
 ノックしなければよかったかなぁ。十四松でさえ後悔するほどにそれは酷い音で、あの音を聞くのであれば二つ上の兄の小言を淡々と聞かされるほうがまだマシである。そんな十四松の考えなど扉の向こうの存在は露知らず耳障りな音を立てながら文句を漏らす。
「なァんだァイ……、まァたお前さんかイ……」
 また?看護師でもこの耳障りな音が嫌で入ることを躊躇ってしまう人がやはりいるのだろうか。
「なァンニもないよォ、ここは……。見舞いの花の一ツだってありゃァしない……。サッサとお帰り……」
 忍び足でその場を急いで離れる。足音を立てたりなんてしたらこの部屋の主――小滑たる人物に取って喰われるようにさえ感じたのだ。
 隣の部屋も、その隣も、その更に隣も、名前の入ったプレートどころか、プレートをさす金具さえも無かった。
 三つの空き部屋の向こうは倉庫になっているようで、行き止まりになっている。既にある種の恐怖体験をした後だが、この倉庫から十四松の弐号病棟の散歩という名の探索がようやく始まる。

 この病院における弐号病棟の管理は『ずさん』の一言に尽きる。ここまで来る途中にも気になってはいたが、天井にも埃がぶら下がっているし、窓のサッシも指を滑らせると色が変わり、指はそこだけ茶色くなってしまう。壁際の床には綿埃が此処こそ居場所なのだと主張するように居座っている。掃除されているようには絶対に見えない。廊下を見れば見事に自分の足跡が綺麗に残っている。どれだけ人が来ていなければこうなるというのか。
 とは言え日頃からチョロ松の様に潔癖でも細かい所が気になる訳でもない、それどころか、どちらかというとおそ松の様に大雑把な十四松でさえも弐号病棟の管理がずさんだと感じる理由としてはまだある。
 倉庫の鍵が閉まっていないのだ。
 いや、鍵どころか扉が半開きとまでいかずとも中途半端に開いている。閉めたつもりだけど少し力が足りなくて閉まっていなかった。人が通るには狭すぎるし、だからと言って閉まっているわけでは決してない。そんな風にこの所々が錆びた扉は開けっ放しになっていた。長い事ここに誰も来ていないことは確かだし、扉を動かした跡もドアノブに手形も無い。扉そのものにも勿論、形跡など無い。
 ぎいィーーッ、と錆びた重たい物の叫びを聞きながら扉を引く。案の定中の空気は黴臭く、一番奥の窓以外光源がないため薄暗い。四〇四号室の声に次いで不気味だ。
「おじゃましまぁす……」
 小声で挨拶し、扉を全開にしたまま恐る恐る入っていく。
 汚い、黴臭い、暗い。なんとも嫌な三文字が頭に浮かぶ。ぼくは別に青いツナギを着ているわけじゃないし、青はカラ松兄さんの色だ。そんなことを考えながら足元を注意しつつ少しずつ奥へ進んでいく。
 歩く度に埃が舞うのか、目に沁みるし鼻もムズムズする。辺りをキョロキョロと眺めながら進む。
「うわっ」
 と、突然足が何かに引っかかり転倒してした。包帯だらけの右腕をかばうように背中から埃を被った書類の山に倒れ、受け身をとる。
 なんとか起き上がり、足元を見まわす。どうやら低めに積んであった資料の束に足を引っかけたらしい。一松兄さんだったらころばなかっただろうか、トド松だったら叫んでたかも。どうしてもそんなことを考えてしまう。
 その考えを頭から振り払って、現実を直視する。とりあえずは探索。そしたら部屋に戻ってご飯食べて、先生とお話しして、歯を磨いたりお風呂に入ったりして寝る。そうだ、とりあえずは探索だ。
 とはいえ、あまりここに面白いものはなさそうだ。転ぶと痛いし、先生に小言を言われる。それ以降の暇つぶしという名目の探索に出られなくなってしまう。
 それは困る。野球もできないし川を泳ぐことだってできなくて、ただでさえ暇なのに余計に暇になるなんて。長男の言う「ヒマすぎて死んじゃう」というのはあながち間違いではないのかもしれない。
 戻ろう。そう思って後ろを振り向き――ぎょっとした。
 あの重い扉が、閉まりかけている。それも、あれだけ大きな悲鳴を上げていたにもかかわらず、物音ひとつ立てずに、だ。
「え……。なんで……」
 どくどくと心臓が鳴る。ここを今すぐでなければ、と本能が叫ぶ。ここを出ろ、閉じ込められたらナニカが終わるぞ!と。
 閉まりかけている扉のほうへ向かって体重をかけた――つもりだった。
 体が、そもそも前に傾かない。首も動かない。動かないのだ。まるで何かに、見えないロープかなにかで縛り付けられているかのように、あるいは目の前に見えない壁があるかのように。
「……っ!」
 前に進めない。体が一向に前へ進まないのだ。こうしている間にも扉から入る光はどんどん細くなっていく。
――考えろ、考えろ!この状況をどうすれば打開できるのかを考えろ!
 はたと気づく。以前にこんな風に前に動けないことがあった気がするのだ。
 思考を巡りに巡らせ。
 記憶を辿りに辿らせ。
「あッ……!」
 理解した瞬間、十四松は勢いよく高等部で頭突きをするように、頭を後ろへ振った。
 何かに当たる確かな感覚。
 倒れる前に頭を起こしてバランスを整え、そして頭の中で障害物の場所を思い出しながら飛ぶように走り出す。
――あぁ、走るのは、やっぱり楽しい!
 あはは!と狂気にも似た笑い声をあげ十四松は扉の間から廊下へ滑り込み壁に激突するのをギリギリで踏み留まることで回避する。
 そして左手、行き止まり。幅いっぱいの姿見が明らかに異質な音を立てている。
 髪の長い患者服の女が鏡の向こうから鏡面を叩いているのだ――出せと言わんばかりに、助けてと言わんばかりに。
――ピシッ……。
 遂に、ヒビが入る。それを認知した瞬間、十四松は笑いながら走り出していた。
「あっははっ! たぁッのしいね!」
 ガラガラと軽快な音を立てて次々戸が開いていくのを走りながら確認する。
「お疲れ様ですッ!」
 四〇一号室。
 軽口をたたきながらも『これはマズい』と本能が叫び、額を汗が伝って落ちる。
 四〇二号室。
 心臓など早鐘の打ちすぎでもしかしたらこれらとそれらと『ひょっとして……恋?』なんて展開になってしまうのではないか、などとくだらない事を考えてしまうほどだ。
 四〇三号室。 
 けどそんな展開になるのだっていくら十四松といえども、ごめんこうむりたいし、仮にカワイイ子がいたとしても両親や兄弟に顔を見せてやることもできやしない。
 四〇四号室。

「――――――――――――?」

 それはもう、酷いモノだった。
 ありとあらゆる不快な音を無理矢理混ぜて、それらを更にぐちゃぐちゃにしたような、暴力的なまでに不快で醜い、音。
「すっげぇー! めっちゃピンチじゃん! あははっ!」
 ボロを纏った老婆のような、肉塊。果たしてこれを肉塊と呼べるのかさえも甚だ疑問である。
――これは、マズい。どう考えても、マズい!
 血と脂を火炙りにしたような異臭が鼻を衝く。滅茶苦茶に折れた手足の骨をガタガタと揺らしながらこちらに走ってくる。
 後ろに引くにもテレビではなく鏡から出てきた貞子の様なモノとその他諸々がいてどちらかとハグする羽目になる。
「あッ、そっか」
 瞬間、十四松が消えた。
 見事にあれらとそれらは正面からぶつかり、しばらくして動かなくなる。
 いわゆる、分裂。兄弟揃って風邪をひいたりするとこれで体内に侵入してウィルスを倒すという荒治療をしたりする。
 怪異には怪奇で返せばいい。
「ごめんねぇ、これ呪いっていうか病気しか治せないんだ!」
 そう言い残し、階段を降り――ようとした。
――ヤバイ、ヤバイ、ヤバヤバーイ!
 うっかり舞ってしまいそうになる。昇ってくるときに何か嫌なものを見た気はしたが、ここまでヤバいものだとはさすがに思ってなどいなかったのだ。
 ここはいつから巨大な扇風機のある家電製品販売店になったのだろうか。そして何故風が吹いている事を分かりやすくするために付けているテープをこんな悪趣味な――青白い手の形にしてしまったのだろうか。そんな要らない小細工をしてくれた店員に全力でクレームをつけてやりたい。
 そんな現実逃避をせざる得ないほど、枠だけになっていたはずの姿見に新品のような鏡面が張られ、そこから夥しい量の青白い手が関節も長さも無視して触手のように生えて蠢いている――そんな目の前の景色は本当に洒落になっていないし、意味が分からないのだ。
 さてどうする。思考を巡らせたどり着いた答えは――。
「失礼しまぁす!」
 階段側の倉庫前。山のように積まれた段ボール。考え付いたことはただ一つ。
 その昔、小学生だった当時のおそ松がこれをやって失敗した挙句骨折するという間抜けな事をしたことがある。松代にも学校側にも説教された事はまだなんとなく覚えている。つまりバカな小学生男子は大抵通っている道。
 段ボールを手すりに乗せ、しならせる。そして、あとはその段ボールの上に乗り思い切り階段を蹴る。
「あばばばばばばばばばば!」
 どの学校にも階段の手すりを跨いで滑って降りている男子生徒の一人や二人いただろう。そしてそれに失敗してケガをするバカも。
 決して気の強いほうではなかった十四松がおそ松のこれを真似をしているはずもなく。これが初めての手すり滑りである。
――思ってた以上に速い!
 これは確かに、ケガもする。
 とは言え、あっという間に悪趣味な扇風機は通り過ぎ――。
「あ……」
 そのままロードコーンを蹴り倒して気が付けば一階まで滑り落ちていた。
「いたた……。って、え、えェー?」
 弐号病棟、一階。そこはとても病棟どころか建物には見えない景色が広がっていた。
 見渡す限り、骨、骨、骨。小さな骨や半分無くなっている骨。大きさも状態も様々だが一つだけ共通していることがある。
 焦げているのだ。黒く、土に還りつつあるモノも多く、暗いこの空間でよく骨だと分かったものだと不思議にさえ思う。
「そっか……。……そっかぁ」
 四〇四号室の小滑から感じた血と脂の燃えた様な異臭。その理由はこれなのだろう。
 原因は何なのかはハッキリしない。戦時中の空襲なのか、はたまた関東大震災の時の火災なのか。あるいはこの病院で火災が起きたのか。
 ともかく彼らはそれらの理由で炎の中で死んでいった。
 そして何かしらの理由で彼らの遺骨はそのまま放置され、彼らに連れていかれた人たちが今度は別の無関係な人たちを連れていき、そしてあの大量の青白い手や、あの倉庫の怪奇現象を引き起こしたのだろう。
 無言で手を合わせ、階段を昇っていく。
 その数十段、階段を上がって渡り廊下を渡り切るまで、あの不気味な鏡でさえも、怪奇現象は何も起きなかった。

「十四松さんの担当の弱井でーす!」
 病室に戻ると彼女はそう、自己紹介をした。
「この病院のことは何でもきいてね! あ、でも私のスリーサイズとかは駄目よぉ? あ、あとね、行かないとは思うけど向こうの弐号病棟は行っちゃだめよ? 取り壊し中で危険なの」
「……え?」
 数時間前まで十四松は確かに弐号病棟で、怪奇現象やら化け物やらに追い回されていたはずだ。あれらはいったい何だったというのだ。
「……」
「質問タイム終わり?」
「あ、そうだ。ねぇ、玉藻さん?はどうしたの?」
「タマモサン?」
 なんとなく気になったから聞いてみただけだった。だが看護師は首をかしげる。
「タマモさんなんて人はいないわよ?」

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