囁く個室

お題:会社のトイレ/蜜葉一松小説

 えー、まあその話?チョロ松兄さんさぁ、自分はバイトもしてないのに僕がバイト辞めた事ネチネチ言い過ぎ。

 …だって仕方ないじゃん。あんな思いしたらさ、辞めたくもなるよ。

 え、どんな体験か?よっぽどブラックだったのか?

 うーん、そうとも言えるかもね。そういや僕、この事誰にも話してなかったよね?

 今日は暑いし丁度いいね、話すよ。

 僕がバイトを始めたのは3ヶ月前。その時丁度、友達の猫が出産ラッシュでさ。子猫が増えちゃって…それで餌代稼ぎたくてバイトを始めたんだ。

 バイトの内容はビル清掃。必要最低限の事しか話さなくて良いし、時給だって良かった。人手が足りないのか直ぐに雇って貰えたしね。

上司がいい人でさ、その場で採用を決めてくれた挙句、おめでとうなんて美味しいお酒も飲ませてくれて…これってすごいホワイトかもなんてクズはクズなりに期待したんだ。

 バイト自体は楽だった。担当フロアの床や窓、トイレを綺麗に掃除したりゴミを捨てたりするだけ。ビル清掃って結構汚い事するのかなとか思ったけど僕の担当フロアの6階は結構綺麗だったよ。

 その6階には奇妙なルールがあった。フロアの一番奥のトイレで個室が閉まっていた時は掃除は簡単で良いってやつ。

 何で?と思うじゃん。別にうんこしてたって待ってればいいじゃんって。

 でも、別にトイレ中だからじゃないんだよね。

 フロア奥のトイレの個室はブラック企業社員さんたち御用達の休憩場所だったの。

 僕の担当する6階は、よく分かんないけどソフト開発なんかの仕事してるらしくってさ。もうそこの人達は昼夜なく働かされてるの。
いつ帰ってんの?みたいな人ばかりだったよ。

 で、その人達が限界を感じるとトイレで眠ってるってわけ。時々全部の個室が閉まってて、そこからいびきが聞こえて来たこともあったよ。

 ブラック社員さんたちのルールでね、フロア手前のトイレが排泄用、奥は休憩場所って決まってたみたい。まぁそうだよね、休んでる時に隣で踏ん張られたら最悪だよね?ひひっ

 え、スタバァで弟に踏ん張られるよりマシ?仕方ないじゃんアレはぁ。

 まぁいいや。それでさ、そんなルールのお陰で僕の掃除場所は皆より少ないからイージーモードだった。

 バイト始めて3ヶ月くらい経った頃かな。その日も奥のトイレは楽だなーなんて思いながらモップ掛けをしていた。ちょっと磨いただけで顔が映るんじゃない?ってくらいピカピカになるタイルの床を磨いていると、一番奥の個室が閉まっていることに気がついた。

 ああ、今日もお疲れ様です。そんな事を考えて、そっと音を立てないように個室の前の床を磨いた時だった。
 中から声がしたんだ。

『納期、納期に間に合わない。助けてくれ、あれ、誰が助けてくれるんだろう。誰も助けてくれない、これが間に合わないと終わりだ。あと何時間ある?』

 聞いてる方が苦しくなるような切羽詰まった声だった。
 うわぁ、大変だなぁなんて思ったよ。
 お仕事頑張って下さい、いやこの人はもう頑張ってるかなんて事考えながらそろそろと床を磨いていると、中からはまた声が聞こえてきた。

『これでこれで楽になれるのかな、ああでも納期が間に合わない。納期なんてもう気にしなくて良いのかな。俺はどうなるんだ。怖い怖い怖い怖い誰か、誰か助けてくれよぉ』

 楽になれる、って所に俺の闇センサーがぴんときた。闇センサーって何って?一松搭載此の世の闇に反応する敏感センサーだよ。もういいでしょそこ。で、俺は思ったの。

 この人自殺する気なんじゃないかなって。

 納期を気にしなくていい、楽になれるなんてさ。幾らニートでも気付いたよ。トイレの中で自殺する気じゃないかって。

 思わずトイレのドアをノックしていた。

「もしもし、大丈夫ですか?もしもし?」

 返事なんてなかった。その代わり、中からはまた声が聞こえてきた。

『これで良いのかな楽になれるのかな今戻って仕事した方がいいんじゃないかな?でも終わるわけない、俺はもう出来ない。ごめんなさい、ごめんなさい、みんなごめんなさい。父さん母さんごめんなさい』

 もうノックなんて辞めた。俺は猫モードになると、個室の上の枠に飛び乗って中を見た。

 そこにはさ、誰もいなかったよ。

「…え?」

 嫌な汗が背中を伝う。やばいかな、と枠から降りようとした時に俺は見ちゃったんだ。

 トイレのドアのさ、荷物を掛けるフックにネクタイが結ばれていた。その先に、人がぶら下がっているのを。

 見たくない、見てはいけないと思ったのに目が張り付いたようにその人から離れなかった。

 その人は大きく開いた口からだらんと舌と血を垂れ流していた。目玉が有り得ない程飛び出ていて、顔色はドス黒かったよ。白かった筈のシャツは離れてても分かるくらいに薄汚れて黄ばんでいてさ。個室からは、なんていうの、洗ってない人の臭いがした。

 そこに血や、恐らく糞尿の臭いがミックスされてこの世の地獄かってくらい臭かった。

 意識を失いそうな僕を、外れかけの目がぐりんと動いて見た。

 そしてまた、その人の口からぷつぷつと泡はが弾けるような言葉が漏れてきた。

『俺は納期に間に合わなかった、どうしようどうしようどうしよう。ああ休まなきゃ良かった、そうしたら納期に間に合ったのに。でももういいのかな、俺はもう良いのかな。それでも仕事、仕事はどうなったんだ。俺なんていなくたってなんとかなったのかな?おれはいらないにんげんだったのかな?』

 血走って真っ赤に充血した目が俺から離れない。

 男が、口から黒い血をごぽりと吐き出しながら濁った声で言った。
 

『なぁ、おしえてくれよあんた』

 
 そこが限界だった。僕は気絶して、枠から落ちてトイレの床に伸びていた所を発見された。

 上司は頭に出来たたんこぶを手当してくれながら、そのトイレの事を教えてくれた。

 何年か前に、そのトイレで仕事が間に合わないってノイローゼになった人が首を吊った。
 それから縁起が悪いからって、その一番奥の個室は使わないことにしたんだ。
 ブラック社員さんたちも、どんなに疲れていてもその個室だけは決して使わないんだって。

 でもね、たまにドアが閉まっている。そんな時は中から自殺した人の声が聞こえる…なんて噂があったんだ。

 上司はそんな事を世間話のように話しながら、「一松くんは大丈夫かと思ったんだけどなぁ」なんて言った。

 何のことかって?

 聞いたことないかな、手っ取り早く霊感を調べる方法。霊がいる場所に置いておいたお酒やお水って、霊感のある人にはおかしな味に感じるんだって。

 あの時、僕が飲まされた日本酒はトイレに置かれてたやつで、僕はそれを美味しい美味しいって飲んだから霊感は無し。晴れて曰く付きトイレがあるフロアの担当に抜擢されたってわけ。

 ね、辞めたくもなるでしょ。

 フロアを変えて貰えば良かったのに?

 そんな方法もあったかもね。

 でもさぁ、あんなの見ちゃったらもうダメだよ。

 あの人、首吊った時の事をずっと繰り返しているんだよ?仕事が終わらない辛さ、追い詰められた苦しみ、首を吊る時の恐怖と後悔を何年も何年も、ずっと繰り返しているんだよ。

 ひょっとしたら、未来永劫繰り返すのかもね。よく言うじゃん?自殺者の魂って救われず、永遠に死ぬ時の事を繰り返すって。

 あれから、あの人と同じになったらどうしようって思うと働くのが怖くなった
 

 働いていたら死にたくなる程絶望する事が起こるかもしれない。そこで死という逃げ道を絶対選択しないなんて、僕には断言出来ない。

 でもさ、そうしたらあの人みたいに死んでも救われずに永遠に苦しみ続けるのかも。誰にも救われず、ただただ一番辛い時を繰り返す。

 それってすごーく怖くない?
 

 頑張って働いても酷い扱いを受けて、死んでからも会社に縛られたまま。そんな思いをするくらいなら、ニートのゴミの方がマシだよ。

 

あーあ。

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