人間の美味しい交差点

お題:交差点/しゃがね鴨おそ松一松十四松小説

その日は、雨が降っていた。

競馬帰りの俺を襲った通り雨は、とても強いものだった。
偶然にも近くに電話ボックスを見つけ、慌てて逃げこむ。雨が薄い壁にバタバタと叩きつけて、更に雨脚は強くなりそうだ。雨雲のせいで夕闇がどんどん色濃くなり、辺りはもう真っ暗。どうせ通り雨だからとしばらく待ってみたが、一向に止みそうにないので俺は自宅に電話をしてみた。このご時世、スマホが一人一台当たり前だからか随分公衆電話の数は減ったし、この出会いは偶然というより奇跡と表現したほうがいいかもしれない。
『はい、松野です』
「お兄ちゃんだけどぉ」
『お兄ちゃん、なんて名前の奴は家にいません』
相変わらず、チョロ松は言葉にトゲがある。電話に出たチョロ松の態度に苦笑いをしつつ、ここはオトナな対応で流す。これでいて弟三人相手だとちょっと優しさ成分が増えるが、その優しさを長男にも分けて欲しいものだ。
『ふーん』
突然の雨で困っている事を伝えると、ドライな反応をされた。
『じゃ、紫と黄色のてるてる坊主に行かせるから』
「あぁ…お前が来てくれる訳じゃないのね…別に来てくれるなら何松でもいいけど…」
松野家の紫と黄色といえば一松と十四松だ。この二人が迎えに来てくれるらしい。傘を届けるくらい片方だけでいいだろ!と思うかもしれないが、二人の特性上、それは難しい。
まず、一松は一人だと来てくれない。この長男様が困っていようと、猫の様に気まぐれなため誰かが引っ張ってやらないと動かない。そして、問題は十四松だ。快く引き受けてくれるし努力も評価したいが、いかんせん成功確率が低い。道端に蝶がいれば、目的を忘れて追いかけてしまうくらい残念な奴である。
つまり、仕事が丁寧な一松とやる気だけはある十四松は、コンビとなる事で初めて任務が遂行出来るのだ。
『にゃーちゃんのライブ先行申し込みがすぐだから僕は無理。もう切るよ』
電話で申し込むのだろうチョロ松は、俺の返事を待たずに通話を切ってしまった。二人が来るまで暇だし寂しいから、話し相手になって欲しかったのに。ここで再度家に電話したら確実にキレられるだろう。
それにしても、電話ボックスがあって助かった。古くて汚いけれど、雨露は凌げる。贅沢は言っていられない。
「…暇だわー」
この狭いスペースにあるのは電話だけ。
何か、いい案はないか…と思考を巡らすと、俺の天才的な脳はパッと閃いた。弱井家に繋いでトト子ちゃんにラブコールを送ってもいいし、チビ太にイタズラ電話したっていい。橋の下に住んでいるイヤミは論外だけど。電話があれば暇なんてすぐ潰せるじゃないか。昔から悪知恵だけは働くから、こういう時は便利だ。
「どーしよっかなー!」
受話器を取り、十円を入れる。競馬でぼろ負けした今の俺には貴重な十円だ。掛け先の選択ミスは許されない。
下手な事を言ってトト子ちゃんには嫌われたくないから、チビ太の所に掛けてみた…のは、選択ミスだったらしい。
「ちぇ、あんなマジで怒鳴ることねぇじゃん。あのおでんバカ!」
結果を報告すると、滅茶苦茶怒られた。鼻をつまんで声色をかえながら「昨日、アタシのスカートの中覗いたでしょ!慰謝料振り込みなさいよ!」と言ってやったら「趣味悪ぃイタズラすんじゃねぇおそ松!」となぜかバレた。俺の演技を見抜くなんて…チビ太のくせに、悔しい。
あんなに怒鳴られてしまって、さすがにこれ以上イタズラする気もおきない。ああ、一松と十四松の迎えはまだなのか。一人ぼっちは時間が経つのが遅すぎる。
「んあ?なにやってんだあの人?」
電話ボックスの近くには、信号のない交差点がある。競馬場への近道にならないかと試しに初めて来た所だが、人通りも車通りも滅多にない。街灯も申し訳程度にポツポツと点在しているだけで、こうも暗いと車のライトだけが頼りになりそうだ。
そんな、真っ暗な交差点の真ん中で立ち止まっている奴がいた。背は俺と同じくらいの男だ。雨も強いし、更に視界が悪い状況で交差点にいるなんて明らかにおかしい。まさか…俺はひとつの考えが浮かんだけれど、早とちりはいけない。しばらく様子をうかがっていると、遠くから一台のバイクが走って来る。
「え…」
ハイビームで前を照らすバイクだが、スピードを落とすことなくどんどん交差点に近づいてくる。
グラリ、と男が道路に倒れた。それでも、バイクはスピードを緩めない。まるで、男が見えていないかのように。
「ちょおおおっと待ったーっ!」
俺は電話ボックスを飛び出した。赤の他人だとか、そんなのは関係ない。このままではバイクは男を轢くだろう。交通事故多発地帯注意、なんて気休めに置かれた看板を通り過ぎ、おれは全速力で倒れた男に駆け寄る。せっかく雨宿りしていたのに、もう全身びしょ濡れだ。
よかった、これなら間に合う。
そう確信して、俺は男の肩に手を伸ばす。
「へ?」
俺が伸ばした手は、男に躱される。
直後、俺はなぜか体が動かなかった。おかしい、なんで俺は道路に立ち尽くしているんだ。早く逃げないと、バイクはすぐそこまで来ている。

目の前の男がゆっくり立ち上がり、ライトにその顔が暴かれた。
真っ白な肌に、黒い影が蠢いている。牙を持つ蟻のような何かが、男の顔半分にザワザワと群がり犇めき合っていた。剥き出しで落ちそうな眼球は、揺れてもギョロギョロと俺から視線を外さない。

男の姿に動揺している内にも、バイクがけたたましい音を立てながら俺達に近づいてくる。俺の心音もバクバクとうるさくて、嫌な汗がドッと吹き出るわで俺は堪らず目を閉じた。

バイクがぶつかる寸前、一番会いたかったあいつらの声が聞こえた気がした。

 
 

✽✽✽✽✽✽

 
 

あの日は、雨が降っていた。

チョロ松兄さんに言われて、おれと十四松がおそ松兄さんを迎えに行ったあの日、あの時。
あの日から、おそ松兄さんは人が変わってしまった。
競馬に行かなくなった、ビールを浴びるほど飲まなくなった、騒がなくなった、弟と喧嘩をしなくなった、トト子ちゃんにデレデレしなくなった、イヤミと張り合わなくなった…おれ達の知っているおそ松兄さんじゃなくなった。
今日も、おそ松兄さんは部屋の隅で体育座りをしてぼんやりとしていた。今は午後四時頃だが、朝からずっとその体勢だ。いつもなら、部屋の中央に陣取って弟達にちょっかいを出しているはずなのに。
「おそ松兄さん、何かあったんでしょ。その感じもう飽きたし、すごく気持ち悪いから白状して」
この状況は、特にチョロ松兄さんが嫌がっていた。ほぼ毎日口喧嘩をしている二人だからだろう。でも、そんなチョロ松兄さんの心配を余所に、おそ松兄さんは虚ろな目で言うのだ。
「…なにも」
大幅なキャラ変更をしておいてしらばっくれるとは。あと、六つ子の無気力キャラはおれだからキャラ被りになるしやめて欲しい。
「答えになってない」
この六つ子会議は何度目だろう。チョロ松兄さんが怒って、おそ松兄さんは無反応で、トド松が廊下からこっそり見守る構図はもう見飽きた。おれの指定席がおそ松兄さんに奪われているし、不毛な会議に用はない。
「あの交差点は出るらしいな」
ずっと鏡を見ていたもう一人の兄が、鏡を置いて何やら勝手に語り始める。
「地縛霊が生者を喰って、人格を乗っ取るとかで…」
「霊症?ないない!」
チョロ松兄さんは即座に全否定した。こいつは相変わらず空気を読まないから、トド松不在のこの状況はチョロ松兄さんにとってさぞかし大変だろう。
兄達を無視して廊下に出ると、トド松が襖の前でしゃがみこんでいた。手で両耳を塞ぎ、ふるふると震えている。
「邪魔だけど」
「だって!怖い話してるから!」
自分の事を可愛いと自負している奴の「ボク怖いの苦手☆」ほどあざといものはないが、トド松はこの歳で夜中に一人でトイレに行けないくらいガチの怖がりだ。
「うぅ…ヤダもう。壊れたテレビは叩けば直るじゃん。おそ松兄さんも叩いたら治らないかなぁ」
いいぞトド松、そのクズ思考。自分の気に入らない事には暴力を持ってしても強引に解決させる案、嫌いじゃない。
「チョロ松兄さんに言ってみれば」
今のチョロ松兄さんならやってくれるよ、と悪魔の様な助言をしてやると、トド松は目を見開く。おれ達は六つ子だから、長男だの末弟だのの上下関係はケースバイケースであったりなかったりだ。トド松はおれと目が合うと、さっきのビビリはどこへやら、親指をグッと立てて居間に入って行った。
廊下に出ると、冷房の有り難みを感じる。それでも元気よく外に飛び出そうとする十四松にすれ違ったので、黄色い裾を掴んで呼び止めた。
「十四松、出かけるの?」
「傘買う!おそ松兄さんの壊したから!」
首から財布を下げてわくわくしている姿は、まるで遠足に出かける小学生だ。忠告するが、十四松はおれと同い年の、れっきとした成人男性である。
「おれも行く」
丁度暇だったし、外はもっと暑いだろうが十四松と出かけることにした。
「それと、傘はおれと折半ね」
ポケットに入れていた財布に紙幣が残っているのを確認して、十四松に言っておく。十四松は一回首を傾げたものの、聞き入れてくれるだろう。
「あの時、傘を投げろって命令したのはおれだから。十四松だけ負担するのはおかしい」

そう、あの時。
おそ松兄さんが道路に突っ立っていて、バイクに轢かれそうになったあの時。近くまで来ていておそ松兄さんの姿をとらえていたおれ達は、おそ松兄さんを助けたい一心で賭けに出た。
「バイク目掛けて傘を投げろ!」
「ふんぬっ!」
十四松が持っていたおそ松兄さんの傘を、バイクに投げつけたのだ。いくら十四松が野球好きと言っても、傘を投げるなんて無理がある。可能性が低いのは分かっていたけれど、おそ松兄さんが競馬で外した分の運がこちらに来たらしい。
おそ松兄さんはバイクには轢かれなかった。傘が前輪に当たり、バイクはスリップしておそ松兄さんをうまい具合に避けたのだ。傘が犠牲となって折れてしまったが、命には変えられない。バイクに乗っていた奴は、気を失って倒れたおそ松兄さんを見るやいなやさっさと逃げてしまった。今頃、ひき逃げしたと思い込み、後悔の念に押し潰されていることだろう。
だから、おそ松兄さんは無事であるはずなのに。なぜ、あの様に人が変わってしまったのかおれには分からない。

けれど、おれ達が玄関を締める瞬間、居間からゴスッというエグい音と共に
「イッテェえええっ!!なにすんだチョロ松!」
という、元気そうなおそ松兄さんの声が聞こえた。チョロ松兄さんの拳により解決されたみたいだし、心配はなさそうだ。

 

あの交差点の近くに、目的の店はある。
カラフルな傘の中から選ぶのは、もちろんおそ松兄さんにピッタリの赤い傘だ。
「これと、これと…これだったらどれがいいかな!」
目についた赤をかき集め、十四松はたくさんの傘をおれの元に持ってきた。一概に赤と言っても、おそ松兄さんの赤は明るい赤だ。
「これかな」
一番鮮やかな赤の傘を選んで、レジに持っていく。何の装飾もない、シンプルな傘は以前使っていたものと似ている。これなら、おそ松兄さんも気に入るはず。
「外、カラス多いね!」
おれが会計を済ませている中、十四松は店内をうろついていた。店の窓から、あの交差点が見える。信号はなく、見通しがよくて交通量が少ない交差点は、ドライバーも気が緩むのかスピードを出してしまいがちだ。一時停止の標識はあるが、見逃すらしい。今も、標識を無視して走り去る車がいた。
「カラス…」
カアカアと鳴いて仲間を呼ぶカラス達は、電線にびっしりと整列していた。一点を見つめ、何やら獲物が交差点にいるらしい。ゴミでも落ちているのだろうか。
「気味が悪いから、早く帰ろう」
買った傘を握って外に出る。べたつく汗とカラスの不気味な集会で、おれの気分は最悪だ。日が傾き始め、オレンジ色に染まる街。おれ達二人の影が長く伸びている。明日も、いい天気になりそうだ。
「右見て、左見て、また右見て!よし!」
この交差点は特に注意して渡る。向かいからやって来た、歩きスマホをしている女性とすれ違ったが、この女性はカラスのぎらついた目に気づかないのだろうか。俺はとても気が滅入るのだが。

カラスは、死の香りを嗅ぎつける。

嫌な予感がして、交差点を渡りきってから振り返ってみた。
女性はスマホに夢中で気づかないらしい。カラスもそうだが、それだけではなく…足元の道路に、男の手が生えているのを。
手が女性の両足を掴み、女性が転ぶ。助けたい気持ちはもちろんあるが、もう間に合わないとおれは分かっていた。
また、法定速度と一時停止を無視した車が交差点に侵入したのだから。

人はいつか死ぬ。
けれど、防げる死もあると思う。

「ひッ…ギャ…ァッ…!!」
車に轢かれる一瞬、女性のか細い声がした。
「見るな!」
買ったばかりの傘を広げる。十四松に女性の姿を見せない様、傘を盾にした。
「え、なに兄さ…」
「いいから!目を閉じて!」
グシャリ、と潰れた音がして、辺りに悲鳴が響く。鮮やかな赤の傘に、赤黒い雨がポタポタ垂れて惨事を物語っていた。
「十四松は見るなよ」
「う、うん…」
おれの言いつけ通りに手で目を隠している十四松は、音だけの世界でも何が起きたか理解しているようだ。傘をずらして見てみれば、言うのも憚られる惨憺たる事故現場だった。血だまりに横たわる女性の横に、男が立っている。事故を起こしたドライバーではない。
「ヒ…ヒヒッ」
見覚えがあるその顔に、おれはため息をついた。
こいつは人間ではない、人を喰う妖怪だ。
顔に肉食の蟻を飼っていて、そいつの肉となるために自分は人間を捕食する悪趣味な奴である。艶のある蟻の黒色で、大層いい養分を貰っていると予想がつく。
「今日は若い女の子だぁ…」
昔から、街に出てきては罠を仕掛けて仕留めていた。こいつに人を殺す能力がないため、事故が多発するこの交差点は絶好の穴場らしい。
ドライバーの男が、女性に駆け寄って電話で状況を説明している。目撃者のいる中で、今度はさすがにひき逃げ犯は生まれなかった。おれ以外には妖怪の姿は見えていないらしく、妖怪は堂々と飛び出た臓器をしゃぶっていた。
死は悼むものだが、喜ぶ者もいる。美味しい、美味しいと口を真っ赤にして死体を食い散らかすバケモノは確かに存在するのだ。

 

「お前みたいに、道路を横断する時は周りをよく確認していれば…あの人は死ななかったんだと思う」
警察から事故について事情を聴かれ、帰りは夜になっていた。街頭の少ない夜道で、周りを気にしながらおれ達は帰路に急ぐ。血で塗れた気色悪い傘は警察が引き取ってくれたし、明日またおそ松兄さんの傘を選ばなければ。
「これからも気をつける」
「うん」
「いのちだいじに!」
もちろん、妖怪の事には誰にも言えない。『おれ』があの交差点で『弟』と人を待っていた時、あいつから話かけられた事がある。おれが知るそいつの情報も、そいつ自身が一方的に自慢として喋っていたものだ。
「ねぇ、兄さん」
ちなみに、カラ松が言っていた噂が嘘という訳ではない。人格を乗っ取る霊は、確かに交差点にいた。けれど、あの交差点にはもう、あの不細工で悪趣味な人喰い妖怪しかいない。
「三つ子の魂百までって言うけど、六つ子はいくつまで生きられるかな?」
隣りを歩く『おれの弟』はとても馬鹿だ。でも、それが許される『十四松』の人格はとても助かる。ボロが出ないから。
「それ、意味間違えてるけど…そうだな。今度こそ、長生き出来たらいいな」
帰ったら、おれ達はまた完璧な松野家四男の一松と五男の十四松であり続けよう。

世の中には知らないほうがいい事実も存在する。妖怪や悪霊の類いは特にそうだ。
もし、関わってしまった時には…人体や人格を喰われる覚悟をして欲しい。

 
 

(おわり)

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