「あ」

お題:オリジナル/とわこ一松十四松トド松小説

「十四松兄さーん写メ撮ろうー!」

トド松は今にも鼻歌を歌い始めそうなほど上機嫌に、スマホを片手に持ち十四松にぴたっと寄り添う。
新しい洋服を買い、着ていく予定もないが浮足立ち、いてもたってもいられないようだ。
無論十四松はいつもの黄色いつなぎを着て、ファスナーを口元まであげたスタイルで新しい洋服を手に入れた訳ではない。
写メと聞くと十四松は待って!と慌てて赤いコーンをかぶる。彼の一張羅。
一松はそんな仲の良い弟二人を、十四松はいつもの服装なのだから別に一緒に写る必要もないだろうと、冷ややかな視線を送った。

平日の夕方。世の中の成人は働いている時間帯であるが、松野の六つ子たちは思い思いに遊び歩いていた。
親の脛を齧り、プライドを手放したことによって勝ち得たニートという称号に、負い目はあまりないらしい。
先ほど買い物から帰ってきたトド松を含めると、一松、十四松の3人が家で価値のない時間を食いつぶし、溝色に輝くニートライフを満喫中だ。
一松は相変わらず猫と戯れ、トド松と十四松はファッションショーからのモデルごっこ、果てはフォロワー数数兆人という宇宙規模のインスタグラマーを気取って自撮り合戦を繰り広げている。

「あ」

軽い電子音と共にスマートフォンのシャッターが切られる瞬間、十四松はレンズではないどこか空中を見ながらパカリと口を開いた。
スマートフォンのインカメラでツーショット撮影の最中であったが、気になるものが視線の先にあったのだろう。
十四松の隣であざとくキメるトド松を無視して、彼は完全にそっぽを向いている。
トド松は急に興味がどこかへ移ってしまった十四松を特に責めることなく、笑いながら先ほどのデータを表示させ、十四松の視線の先をなんの気もなく拡大した。
するとスマートフォンに指を滑らせていたトド松の動きがぴたり止まり、全身に微弱な電気が流れたかように震えた。
十四松の視線の先におぼろげながら、人影のようなものが写っていたからだ。
顔こそ見て取れないが、それは紛れもない人影であった。
髪が長く見える影は、猫を撫でている一松のそれとは考えにくい。
光の加減と言ってしまえばそれまでだが、怖がりのトドはひぃと小さな悲鳴をあげるとスマートフォンを放り投げた。
トド松は胸の前で手をわなわなと震わせ、一気に血の気が引き真っ青になっている。

「なに、どうしたのトド松」
「なんか、なんか変なものが…!」

震える声でトド松はそう言うと、座布団の上でひっくり返っているスマートフォンを指さした。
様子がおかしいトド松に一松は首をかしげ、放り出されたそれを拾いあげる。
目を細め画面を見た一松は、すこしだけ目を見開いた。
写りこんだ影に真っ先に目が行くが、よく見ると十四松の片目が横に伸びるように歪んでいる。

「これ、消した方がいいんじゃない?」
「うん、消していいよ!僕もう見たくないから一松兄さん消して!」
「こんなハイカラなもの使ったことないから使い方わからんわー」

一松は不吉な写真に若干の恐怖を覚える一方で、どちらかといえばトド松が怖がっていることの方が面白いようだ。
見たくないと背を向け顔を掌で隠すトド松に液晶画面を押し付け、追いかけまわしている。
十四松は特に気にしていないのか、そもそも趣旨が分かっていないのか、一松と一緒になってトド松を追いかけまわしいつものようにアハアハと笑っていた。
大の大人3人が決して広いとは言えない家でばたばたと走りまわるものだから、埃が立ち家全体が揺れているようであった。

***

「十四松兄さん、あの変なの見ちゃったわけ!?」
「ん!なんか!」
「こっわ!怖いよ〜十四松兄さん!なんでそんな普通でいられるの」

さて長々と続いたむさくるしい追いかけっこは、体力のない一松が座布団を踏みつけ顔をちゃぶ台に強打、鼻血を盛大に吹いたところで終焉を迎えた。
一松は血の滴る鼻を抑えながら呪いだと怯え、二人が映った写真データをいそいそと消していたが、まごう事無き自業自得である。
走り回ったおかげで幾分か恐怖が吹き飛んだトド松は、落ち着いたからこそ十四松の発した言葉が気になり始めたようだ。
まるで影に気がついたかのような発言、そして今や十四松の視線が怖い。
トド松は未知の生命体に接するような怯えた表情で十四松から距離を取っていた。
本人は怖くとも何とも無いようで、なんでだろうねと視線の合わない黒目をぐるぐると無責任に旋回させた。
トド松は小さくため息をつくと、こぶしを握りスマートフォンを片手に立ち上がる。

「どこ行くのトド松」
「盛り塩!盛り塩するの!やり方調べたから」
「なにそれおっもしっろそー!僕も盛るー!」

熱意を感じるキリリとした顔をしてずんずんと台所へ向かうトド松は、どこか説得力があり呼ばれてもいないのに一松と十四松は付いて行く。
普段は末っ子の特権をうまく使って兄弟を舐めたような態度をとっているが、この時ばかりは頼もしく見えたのだ。
律儀にもトド松は盛り塩の仕方を怯えながらも調べたようで、慣れない手つきではあったが着々と必要な物を揃えていった。
トド松の回りでうろうろするだけの役立たずな一松と十四松を完璧に無視して作業は進む。
一体どれだけ塩を盛るつもりなのか一松が首を傾げた頃、ひと段落ついたかのようにトド松はふぅと額の汗をぬぐった。
お盆に用意した塩皿を乗せると、十四松と一松に持たせる

「さぁいくよ!」

かくして、ありとあらゆる部屋の四方に塩を盛り始めることとなった。
先ほど何かが写りこんでしまった彼らの寝室、居間に台所、両親の部屋と次々に置く。
埃っぽかった部屋がなんだか清められていくような気がして、トド松は次第に気持ちが落ち着いてきた。
さて次は…とトド松が立ち止まると、水のあるところに霊は集まり易いという一松のにわかな知識から、三人は風呂場に向かうことになった。
これがアロマだったら良いのにと、恐怖は薄れつつある中、十四松は風呂場の簡易的な鏡を見て口をパカリと開いた。

「あ」

一松とトド松が十四松の視線を追って鏡を見ると、そこには髪の長い女が彼らの背後に立つようにして写りこんでいた。
生気を感じさせない青白い肌、髪が顔にかかっているはずではないのに顔はノイズががっていてよく見えない。
テレビの調子がおかしい時のように、ぐにゃぐにゃと乱れる顔からは何の感情も感じ取れなかった。
一松は夜中車のヘッドライトに照らされた猫のように硬直し、トド松は声もなくしゃくりあげ、手にもっていた塩を手放した。
陶器が割れ床にバサッと塩が広がったのと同時に、鏡に映った女は跡形もなく消えていた。
一松とトド松はギギと音がしそうなほどぎこちなく首を回し後ろを振り返るが、そこには誰もいなかった。
そもそも彼らの後ろに人が立てるほどの隙間などなかったのだ。
一松もトド松もこの状況をどう判断するべきか決めあぐねているようで、ただ嫌な汗ばかりが背を伝った。
口の中が急激に乾き声こそ出なかったが、ごくりと同じタイミングで唾を飲み込むと二人は一目散に居間へ逃げ帰る。
ありとあらゆる電気をつけ、テレビをつけると大音量でバラエティー番組を流して膝を抱えた。
十四松はというとしょっぺーっと言いながら、風呂場に散らばった塩を片付けていた。

***

「ふーん、そんなことがあったんだ」

夕飯時、それぞれ遊びにいっていた兄弟達は全員集まり一つのちゃぶ台を囲んでいた。
チョロ松はさも興味なさそうな相槌をうちながら、最後のコロッケを大切に食べた。
トド松達が命の危険を感じるほど怖い思いをしたということなど、コロッケの前では大した事は無いという風だ。

「チョロ松兄さん信じてないでしょ!」
「うん。信じてない」
「トド松だけならまだしも、俺もみたんだよ」
「十四松兄さんもみたよね!?」
「うん!みた!女の人!」
「ねぇ、可愛かった?可愛かった?」
「僕たちの話聞いてた!?顔なんてこうぐにゃーっとしてて見れなかったよ!」
「ちぇーなぁんだ」
「可愛かったらなに!?彼女にでもするわけ!?」
「っふ…俺に恋い焦がれたカラ松ガールが…ここまで会いにきてしまったというわけか」
「うん、それはない」

その場に居合わせなかった3人は話を信じていないらしく、面白半分に怯えるトド松達をからかっている。
信じてもらえないトド松は頬を膨らませ、三人の兄たちの不誠実な態度に抗議した。
一人が見ているというならともかく、三人中三人が何か不気味な物を見たといいそれを相談しているのに、その態度はけしからん。呪い殺されてしまえと。
しかし一気に責め立てたトド松はひと呼吸置くと、もじもじと足をすり合わせ、少し恥ずかしそうに俯いた。

「トイレ…チョロ松兄さんトイレ行きたい」
「はぁ!?すぐそこじゃん!一人でいけよ」
「やだ!トイレ行くのあのお風呂場の前通らなくちゃいけないし。信じてないならいいいじゃん」

恥ずかしいやら怖いやらで、お願いしている立場だが強気でにらむトド松にチョロ松はため息をつく。
松野家は一般的なサイズの家庭なので、トイレまでの距離は居間から数メートルだ。
ただトイレと居間をつなぐ廊下には灯りが無いため、幼い頃怖かった思い出はある。
成人になった今、夜中トイレに行くのが怖いなどというのはトド松くらいであったが、それでも気持ちは分かるので無碍にはできないのだ。
チョロ松は無言で立ち上がると、口をへの字に結んでトド松に視線を投げかける。
トド松はチョロ松兄さん優しい〜と無責任に言うとチョロ松の腕をひしっと掴み立ち上がった。

「そういえば、パチンコでもらった景品玄関に置いてあるんだけどさ、十四松取ってきてくんね?」
「お菓子!いいっすねーあんまーなやつ!?」
「そうそう、あんまーなやつ」

おそ松は夕飯の後に食べるお菓子って背徳感がたまらないよなっと笑う。
その意見には皆賛同なようで、十四松は急いで居間を飛び出していった。
玄関には置き忘れたお菓子が簡単なビニール袋に入って置かれており、十四松はひょいとそれを持つと嬉しそうに戻ってきた。
しかし、トド松とチョロ松が向かったトイレにつながる廊下を通り過ぎる時、トイレについた磨硝子の小窓を見て口をパカっと開く。

「あ」

トイレの前で壁に寄りかかりながら待っていたチョロ松は、十四松の視線の先を追った。
するとそこには、トイレの小窓にはトド松の陰とは思えない女の顔が写りこんでいた。
写っているというよりは、トイレ側の方からべったりと小窓に顔を押し付けているような状態だ。
顔が水面のように揺れているのは磨硝子越しからでも分かり、感情があるように髪がうねる様も見えた。
チョロ松は見えない糸で頬の筋肉を無理やり引っ張られているような奇妙な表情をし、ズルズルとへたり込む。
尻がペタリと廊下の床についた時、その女はふっと消えた。

「う、うわぁああ!」
「え!?何!?何!?チョロ松兄さん!?何、怖いよ〜やだやめてよぉ〜!」

トド松の方からは女は見えなかったらしく、単純にチョロ松の声に驚いただけのようだ。
チョロ松は女が消えたと同時にもつれる足を無理やりに動かして居間に駆け込むが、女が女がと気が動転しているせいで言葉を続けられない。
チョロ松の後を追って涙と鼻水でぐちゃぐちゃに顔を濡らしたトド松も、居間に飛び込み食卓は一時騒然となった。
おそ松は兄ちゃんを怖がらせようたって無駄だぞと余裕の表情だが、カラ松は事の重大さを把握したのか、おどおどと手を宙に浮かせ右往左往していた。

ともあれ6人中4人が見たと言い、見ていない2人のうち1人は兄弟を信じるとサングラスを投げ捨てた。
残ったおそ松も渋々信じざるを得なかった。
自分の目で見ていないものだから、どれほど兄弟たちが騒いでいても正直関心は無い。
あるとすれば自分だけ除け者にして、皆楽しんでいてずるいといった成人らしからぬ意見だ。
ちゃぶ台を囲んでいつの間にか持って来たビール缶を開け、おそ松はぶすっとした表情で頬杖をついた。

「それで?霊媒師でも呼ぶつもり?」
「ああいうのってすごいお金かかるって言うよね。いやだよそんなの」
「じゃあ、チョロ松兄さんは呪われてもいいってこと?」
「いや呪われてるわけじゃないでしょ」

先ほどトイレの小窓からばっちり見てしまったときはチョロ松もパニックに陥っていたが、少し時間を置き幾分か落ち着いたようだ。
実害が及ばなければ特に気にしない部分、肝が座っていると言えようか。

「十四松が…いけないんじゃないかな」

黙って猫を撫でていた一松は猫からは目を離さずにぽつりと言った。

「why?なぜだブラザー?」
「聞いた話だけど、幽霊って気づかれるのが嬉しいらしい」

一松の話によると、十四松の言う「あ」という言葉がきっかけで、怪奇現象が起きている気がするという事だ。
十四松が何かが見える体質だとか、幽霊の存在についてはこの際不問にするとして、幽霊に気が付いてしまった彼が、「あ」言うことで、あの女の存在に気がついていますよというアピールになるのではないか。
そのせいで、例えば連れて行ってほしい場所があるとか、成仏したいとか、誰かを呪い殺したいとか理由はなんにせよ、自分に気が付いてくれたのだから利用できるかもしれないと思う。
だから十四松が存在に気が付き反応を示すことで、不気味な女が姿を表すのではないか。
憶測の範囲だが、だから十四松のせいだと思ったと、ここまで一松は淡々と語った。
まぁ自分にはどうでもいいことだけど、と言い訳のようにつけたした一松だったが、その顔はすっかり青ざめている。
猫を撫でていなければ正気を保てないとばかりに、執拗に猫を撫でていた。

「て、ことはさ十四松のその、“あ”っていうのやめてもらえばいいんじゃね!?」

名探偵よろしくおそ松はびしっと十四松を指さすと、緊張した面持ちで十四松はびくりと跳ねた。
他の兄弟たちの視線も十四松に集まり、その威圧感に彼はだらだらと汗をかき猫のような目をキョロキョロさせる。

「でも、それって根本的な解決になってないんじゃ?」
「気づいてもらえないって思ったらどっかいくんじゃない?」

一松の一言にそれもそうか、とチョロ松はこくりと頷く。
今のところ自分は一度しか見ておらず、霊媒師を呼ぶなどといったリスクの高いことをしたくなかったチョロ松としては、最善の選択のように思えたようだ。
にわかには信じがたい現象に、それぞれ解決策など持っていない。
まずはおそ松の意見を取り入れて見る他なさそうだ。
そうして、その日から十四松の「あ」禁止令が発令された。
十四松は最後まであまり良い返事はしなかったが、特に反対する要因も見当たらなかったらしく、気を付けてみると珍しく気弱に答えた。

***

十四松に「あ」禁止令が発令されてからは、一日にして立て続けに起こった現象が嘘のようになくなった。
あれは夢だったのではないかと、目撃してしまった本人たちでさえ自分自身の正気を疑い、あの日限定で幻覚が見えていたのかもしれないという説まで浮上したくらいだ。
しかし、そう思いたいものの十四松は何か言いたげにどこかを見て、慌てて口を抑える。
例の女が現れることは無かったが、そこに何かがいるということを暗に示され、血の気の引く思いを幾度かさせられた。
それが一松やおそ松であるならともかく、十四松がくだらない悪ふざけをするはずが無い。
トド松が小さく悲鳴をあげる日々が続いた。
しかし十四松もいつしか無視をするということの要領を得てきたようだ。
以前は不自然な挙動で兄弟達を怯えさせてきたが、今ではすっかり自然とそれに気づかないよう生活することが出来ている。
ただ…

「あー肩こった〜。誰かお兄様の肩をもんでくれる心優しい弟はいないわけー?」
「ニートのくせに一丁前に肩こりとかしてんなよ」
「酷いよチョロ松〜俺だって今日はパチンコの前にずっと座って大変だったんだから〜」
「結局パチンコかよ!」

おそ松の具合が日に日に悪くなっていった。
最初は肩こりにはじまり、慢性的な頭痛と耳鳴り…最初は老化だとか酒の飲み過ぎだとか言われていたが、兄弟達も心配になり彼を病院に連れて行くこともあった。
しかし、体に異常は見当たらず効果のない飲み薬を飲まされ、泣く泣く酒やたばこも禁止された。
それでもおそ松の調子は良くなるどころか悪化の一途を辿っている。
おそ松は努めて明るく振舞っていたが、それでもあまり寝床から出ないことが多くなる。

そんなある日、寝相の悪いおそ松とカラ松に寝る場所を侵食されたトド松は、夜中目を覚ました。
具合が悪いくせに寝相は大胆なのだからと、トド松は悪態をつき、おそ松をどかそうと体に手を掛けた。
しかし、その瞬間おそ松の体の冷たさに震える。
すやすやと寝息を立てているので死んでいるはずが無いのに、おそ松の体は長い間冷蔵庫に入れられた調理用の肉のような冷たさだった。

「おそ松兄さん!おそ松兄さん!」

ほとんど泣きべそをかいておそ松を揺り動かすトド松は、さらにおそ松の首にくっきりと手の跡がついていることに気が付く。
赤黒く、人の指のような形をしたそれは、トド松がこうしておそ松を起こしている今もじわじわと広がっていった。
半ばヒステリックにおそ松を起こすトド松に、当然周りの兄弟も気が付き、かちりと照明がつけられた。
おそ松は一向に起きず、苦しそうに唸っている。
体は冷たいが、玉のような汗が全身から吹き出すのが見て取れた。
救急車!母さんと父さんを呼んでこないととそれぞれ思うばかりで、体が固まり誰1人動けない。
体の節々が音を立てて割れそうなほど重力がかかっているようだった。

「気づいてるから!」

すると急に十四松はおそ松を見ながらそう言った。

「君がいること僕は気づいてるから!」

誰1人動けない中、口だけは動くようで不自然な格好で続けて叫ぶ。
すると、ぼんやり浮かびあがる女の姿。
以前見かけた顔のない女がおそ松の胴の上に乗り、首を抑え込んでいた。
十四松以外声も出ないのか、開かない声帯からか細い笛の音のような悲鳴を漏らす。
目をそらしたいのに歪む顔は五人をじっとりとみていく。
目を閉じたらまずいという警告が体の中で出されているのか、気持ちとは裏腹に瞼は下がってこない。
体が下へ下へ引っ張られて行ってしまいそうになるので、言う事をきかない手でそれぞれ近くにある布団の端を握った。

「大丈夫。僕は気づいてるよ。君が見えてるよ。」

今にも泣きそうな声で十四松はそういうと、兄弟達の体からふっと重力が和らいだ気がした。

「だから、おそ松兄さんを、離して」

そういうと、その女の顔が揺れすうっと静かに消えていった。
女が消えると金縛りが解かれ、5人は崩れるようにその場にへたり込んだ。
唸っていたおそ松も夏の寝苦しから抜け出したかのようなのような呑気さで、体をよじりながら目を覚ます。
気持ち良さそうにあくびをし、自分を心配そうにのぞき込む5人の兄弟達の顔が目の前にあったことに驚き、のわっと言いながら飛び起きた。

「なに!?お前ら兄ちゃんをそんな熱い視線でみて!身の危険!」
「っはぁ〜よかった〜」
「このまま死ぬのかと思った」
「縁起でもないことを言うな一松」

あれほど苦しそうだったおそ松はケロリとしていた。
体温も通常通りに戻っているようで、手を握っていたトド松もほっとして手を離す。
おそ松は状況が分からないだけに、兄弟達がかまってくれるのが嬉しいようだ。
照れたように頭をかきながら笑っているが、じくりと首が痛む。
あざのようになっていた首の手形にはいまや細かい発疹が出来ていて、それがパジャマの襟に擦れているようだ。
ちくちくと痛む首を撫で、おそ松はそのおぞましい跡に今更身震いをした。

しかしそれ以降、首の発疹も原因不明の体調不良も回復し、驚異の回復力で兄弟達を驚かせた。
本人は自分の首を絞める女の姿も何も見ていないため、兄弟たちが腫れ物に触るよう接することが些か気に食わないようであったが。

そして、この一件から十四松の「あ」禁止令も解除された。
やはり十四松の視線を追うのは怖いむつ子たちだったが、高い適応力で何も見ていないかのように振舞うのも熟れてきたようだ。
とは言え、あれだけのことをした化け物にすぐに心を許せるわけもなく、お祓いだの、盛り塩など一時期オカルトチックな行動が目立っていたが、継続という言葉を知らない松野家の息子たちはすぐに飽きてしまったようだ。
いくらオカルトじみた除霊の儀式を行おうとも、十四松が「あ」といえばすぐに姿を表してしまうのだ。
あまりの手応えのなさに、面白みを感じられなかったのだろう。
一瞬ひやりと肝を冷やすだけで呪いの類は起こらないこともあり、トド松がヒステリックに怯えることも少なくなった。

そうして今日も十四松は時たま何もない空間をみつめて

「あ」

という。
半透明の手がひらりと満足そうに手を振り、静かに消えた。

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