理科室の少女

お題:理科室/まう一松十四松小説

 1.

『ねえ、知ってる? 理科室に出るって言う、顔のない幽霊の話』

 学校の七不思議なんて、ありきたりなものだ、と一松は思う。
 クラスの中でも特に女子が、その手の話は大好きだ。
 夏ともなれば、男子連中は肝試しだと言って夜の学校に忍び込もうと計画する馬鹿もいるが、一松はそう言った連中と付き合うようなことはなかった。
 同じ六つ子の兄弟のリーダー、長男のおそ松がやろうぜ、と言われれば付き合ってやらないこともないが。
 触らぬ神に祟りなし、一松はあくまでも学生生活を穏便に隅っこで過ごしたい方だった。
 だが、噂話と言うものはいやでも耳に入ってくる。

 曰く、その幽霊と言うのは数年前に実際に事故に遭った女子生徒だと言う。

 その女子生徒は普段からいじめの対象となっており、その日も女子グループから目を付けられて薬品庫の本来ならば鍵の掛かっているはずの戸棚の中の劇薬を——顔に被ってしまった。
 命に関わる怪我ではなかったらしい、だが、女子生徒の顔は見るも無残に焼け爛れてしまったと言う。
 いじめをしていた女子グループは、蜘蛛の子を散らすように被害に遭った女子生徒の手当てもせずに逃げ出したと言う。
 そしてその夜、女子生徒は自宅で首を吊って自殺した。

 気味の悪い話ではあるが、それがもう十数年も前のことだと言うのに、噂の的になると言うのは奇妙なものだ。
 既に当時の生徒も卒業していなくなっている。恐怖と好奇心だけが噂をあおり、放課後の理科室ではカーテンの後ろに顔のない女子生徒が隠れている、と言う立派な怪談が出来上がった。

 噂の真相はどうあれ、人の想像力と言うものはたくましい。
 事実、放課後の理科室には、誰も寄りつこうとしなかった。
 理科の教員担当も、準備室が隣にあるものの、普段は施錠をし劇薬や危険物となりそうなガラス器具などは全てそこにしまっているらしい。

「あれ——そう言えば、十四松は?」

 はた、と気づいて一松は十四松の教室へと向かう。
 放課後、いつもならば「一松にーさあああんっ!!!」と声を大に廊下をスライディングして大好きな野球へと自分を誘いに来るか、もしくは一緒に帰ろうと迎えに来る、その姿がない。
 十四松のクラスメイトたちは、一瞬顔を見回した後、「あぁ、そう言えばさっきまで理科の授業だったから、その後の片付けが長引いてるんじゃないの?」と、一松に答えた。

「……はあ? 十四松だけってことはないだろ? 他の班のやつらとかは、どうしたんだよ?」

 いささか声を低めて、一松は睨みを利かせる。
 ざわっと教室の中の空気がどよめき、誰もが視線を泳がせた。
 明らかに、放課後の理科室になんて残りたくない、と言う雰囲気が伝わってくる。
 一松は舌打ちし、廊下を走り理科室へと急いで向かった。

 2.

 十四松は、実験に使ったビーカーを洗っていた。
 理科室にはそれぞれのテーブルに流しがあるが、十四松が今いるのは大き目なシンクのある洗い場である。
 窓から差し込む夕日は赤く、その脇に束ねられている暗幕用の黒いカーテンも、ひらひらとなびいていた。
 十四松は鼻歌交じりに一つ一つ実験器具を洗っていく。
 乱暴なように見えて、割れ物については母親の松代からの指導もあり、丁寧だ。
 洗っては水切りに移し、割れないよう重ねすぎないように気を付ける。

「ぴっかぴかー、ぴっかぴかー!」

 きゅっきゅっきゅっ、と泡立つスポンジでこすり、水で流してぴかぴかに。
 水切りの中に逆さに置かれるガラス器具が、かちゃかちゃと音を立てていた。
 その音に混じって、どこか、別な音が、いや、声が聞こえてくる。
 

 ……しくしく、しくしく、しくしく……。
 

 それは少女のすすり泣くような声に似ていた。
 十四松は洗い物を終えると、手拭用のタオルで濡れた手を拭って、学ランの下に着ていた黄色のパーカーの袖を戻す。
 声の主は窓際に立っているようだった。
 人影はカーテンの後ろに隠れているらしく、夕焼けの逆光のせいもあり、膝丈よりも下のスカートから伸びる脚と、内履きしか見えない。

「ねえねえ、どうして泣いてるの?」

 物怖じせずに十四松は少女に問いかける。
 少女はしくしくと泣くばかりだったが、しゃくり声まじりにゆっくりと語りだしてくれた。
 悲しいの、さびしいの、痛いの、熱いの、苦しいの、とそれは悲痛な声だった。
 涙混じりのしゃくり声。それでも話せば少しずつ落ち着いていけるようで、十四松へと語る声は徐々にはっきりとしていった。

 少女はここで顔に傷を負ってしまった、と十四松に語る。
 クラスメイトの女子生徒たちにいじめられた、と切々と訴える。

「それは、ひどいね!」

 明るく、吹き飛ばすように十四松はうんうんと少女の話に頷く。
 今まで吐き出せなかった分を全て出し切るように、少女は語り続けた。

 誰も助けてくれなかった。
 教師も、親も見てみないふりをしていた。
 ずっとずっと苦しかった。
 さびしかった。
 誰かに言いたかった。でも、誰にも言えなかった、聞いてもらえなかった。
 カーテンの下からはみ出ている脚が、小さく震えている。
 十四松は少女の声が途切れたのを見計らって、元気に笑う。

「ねえ君、泣きたい時は、いっぱいいっぱい泣いちゃっていいんだよ。泣いて吐き出して、そしたら今度は笑おうよ! ずっとずっと泣いてたら、悲しいまんまだけど、笑ってたら、ほら! 元気になりマッスルハッスル!!」

 ハッスルハッスル!と、十四松はプロレスラーのように大げさに声を出して両腕を振る。
 カーテンの向こう側で、少女は戸惑いがちに問いかけた。

「……こんな私でも、笑えるかな?」

「笑えるよ! 一緒に、笑おう!!」

 にっこりと、満面の笑みで十四松はカーテンの向こう側から少女が笑顔を見せてくれると思っていた。
 ゆうらりと、黒いカーテンがゆらめく。
 それは風ではなく、明らかに、“向こう側”からの“何か”が、出てくるように。
 

『コンナ カオ デモ ワラエ ル カナ?』
 

 それは顔のない、いや、のっぺらぼうや塗りつぶしたマネキンのようなものとはまるで別の、痛々しく、薬品によって焼け爛れた少女の顔だった。
 ケロイド状の火傷は額から顎までを滴るように覆い尽くしている。眉もなく、瞼は塞がれたまま開くことなく、鼻と唇も肉色にかろうじて盛り上がりを見せているだけの、かすかな穴が開いているような状態だった。

『ネエ、ジュウシ マ ツ くん』

 途切れ途切れの、ノイズ混じりに変わった少女の声が、ゆっくりと十四松へと迫ってくる。

『アナタ ノ カオ ヲ、チョウ ダ イ?』

 顔のない少女は一歩一歩近づき、その手を頬へと伸ばす。
 十四松は動かなかった。

 恐れを抱いたわけではない。目の前の少女が、やっと出てきてくれた。自分と向かい合ってくれたことが、十四松にはうれしかった。

「いいよ! ぼくの顔でよかったら、あげる!」

 両腕を上げて、満面の笑顔で十四松は告げる。
 その時、廊下にやっと一松が辿り着いた。

「十四松!」

 乱暴に扉を開け、踏み込んだ瞬間、信じられない出来事が起こった。
 少女の顔が巨大な風船のように膨れ上がり、がぱりと大きな口が開き、十四松を飲み込もうとしていた。
 一松は走るが、あと一歩届かない。
 畜生!と、毒づくが、十四松が少女へと言った言葉は、その場にいた誰もが予想だにしないものだった。
 

「ぼくの顔をあげるから、そうしたら君はずっと、笑っててね! もう、泣いたりしちゃだめだよ!!」
 

 えへへ、と十四松は今にも顔を丸呑みにしようとする少女の悪霊となった姿に向かって、両腕を伸ばす。
 まるで、全てを受け入れるように。
 あたたかく、慈愛に満ちた笑顔で。

『ナンデ……?』

 膨れ上がった時と真逆に、それは急速にしぼんでいった。
 へなへなと、少女が理科室の床にへたり込む。
 その顔には、もうすでに痛々しい傷跡は残っていなかった。
 元通りの、愛らしい少女の顔がそこにはあった。
 流れる涙を、十四松が黄色の長い袖で拭う。

「ほらほらお嬢さん、泣いてたら美人が台無しでっせ!」

 ごしごし、と十四松から涙を拭かれ、少女はくすぐったそうにぎこちなく、はにかんだ。
 十四松は大げさに「こりゃ、べっぴんさんやー!」と、はしゃぎだす。
 くすくすと目の端に涙をにじませ、少女は心の底から楽しそうに笑っていた。

 ***

 光の球が浮かび上がり、不思議な光と共に少女の姿は夕闇から空へと昇っていった。

「元気でねー!!」

 十四松が理科室の窓から身を乗り出し、空に向かってぶんぶんと大きく手を振る。
 終わったのか、と一松はどっと疲れを感じ、また床にへたり込んでいた。

「……もうお前、ほんと無茶しないで……。お願いだから……」

「無茶? 無茶なんてしてませんでー!」

 ぼくはいつもどーり!と、元気に五男は笑っていた。

 

 それ以後、理科室で少女の幽霊を見たというものは誰もいない。

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