虹にふれる

お題:ゲームセンター/しゃがね鴨一松十四松小説

ある夏の日、一匹の猫を追いかけた先で体験した奇妙な話をしよう。

その日、おれと十四松は隣の隣の更に隣の町の公園で行われた猫の集会に参加していた。クソ暑い中でも情報収集に余念のない猫達は、遠征を惜しまず毎日どこかしらで集会をひらいている。
兄弟の中でも、猫化したり犬並みの嗅覚を持っているために人外だと評されるおれと十四松だが、動物からの評価も同じらしく、猫達はおれ達の集会への参加を歓迎してくれている。どうやら、どの世界にもおれ達2人の深刻な人間離れを止めてくれるやつはいないらしい。ちなみに、招待されたからといっておれも十四松も猫語は分からないのだが。
そんなおれ達をよそに、集会では、にゃあにゃあ、と休むことなく猫達の意見が飛びかっている。なかなか白熱しているらしく、尾を逆立てて喧嘩腰になる奴まで出てきた。その様子を日陰のベンチでぼうっと見ていると、隣に座っていた十四松が立ち上がった。
「あっちいね!ぼく、ジュース買ってくる。一松兄さんはいつもの炭酸のやつだよね!」
公園の入り口にあった自販機へ向かうのだろう。時刻は昼の三時を過ぎ、ピークは越しても太陽はまだまだうざいくらい地球を照りつけている。元気と足の速さが自慢の十四松だが、この暑さでは流石にダルいらしく、とぼとぼと歩いて行った。
「金の余裕は…ある」
十四松の姿が見えなくなると、おれはそそくさと財布を開いた。先週もらった小遣いは、まだ財布に残っている。しかし、十四松はジュース一本程度をきっちり請求するタイプではないし、金を渡しても「おごり!」なんて言ってはぐらかして受け取らない奴だ。クズ揃いの六つ子の中でも、優しさゆえに損する役回りなのは昔からである。かわりに、帰りにアイスでも奢ってやろう。
「暑い…」
十四松と冷たいジュースを待っていると、一匹の黒猫がおれの前を通りすぎた。集会には目もくれず、おれの手のひらくらいの大きさの袋を咥え、金色の瞳の凛々しい美猫はこの炎天の下でも平然と歩いている。首に巻かれた上等なリボンがひらりと揺れ、上品な姿に目が釘付けになりながらもおれはふと気づく。
…待て。
黒猫が咥えているのは、チョコレート菓子ではないか。
その後のおれの行動は早かった。
「おっ!?兄さんどうしやした!」
「その猫!チョコレート取り上げて!」
せっかくお誘い頂いた猫の集会だが、途中で抜け出すしかない。チョコレートは猫にとって毒なのだ。取り上げなければまずい。
ちょうどよく帰ってきた十四松とはさみうちにして猫の行く手を阻む。
「うひゃあ!」
しかし、この猫は見た目によらず強かった。
十四松に向かって走り、弟の腕をひらりとかわして飛び越えてしまった。予想外の動きをされ、バランスを崩した十四松は尻もちをつく。
「十四松!」
「ぼくへーきだよ!ねこは!?」
猫が走って行った方向を指差すと、十四松は慌てて立ち上がる。
「にゃおぉぉぉうー!」
犬みたいな顔をして走る十四松は、おれよりも一生懸命追いかけてくれた。足の速さでは敵わないし、頼りになる自慢の弟であるが、奇声を発してスリッパで爆走する成人男性は傍から見れば異様だろう。散歩している親子が十四松をサッと避けているのを申し訳なく思いつつ、おれは前を走る二匹を追いかけるのだった。

 

何度か見失いそうになりながらも、おれ達はついに猫を追い詰めた。
建物の影に座り、そこにチョコレートの袋を置いた猫は、逃げることなく長い尾を揺らしている。
「はい、回収」
この猫には散々振り回されたが、可愛らしい声でにゃあと鳴かれては怒る気にはなれない。これは食べちゃダメだよ、と言い聞かせて頭を撫でてやると、隣にいた十四松が建物をジロジロ見て歓声を上げた。
「兄さん!兄さん!ここゲーセンだよ」
「…ゲーセン?」
初めて来た町で土地勘のないおれ達が迷いこんだ場所は、建物の劣化が目立つゲームセンターだった。十四松に手を引かれたので、猫に別れを告げ店内に入ってみる。
「こんな古いゲーセン、まだあったんだ」
どれくらいひどいかというと、コンクリートの壁と床は所々ヒビが入っており、手すりの塗装は剥がれてサビが見えてしまっている。この杜撰な管理は、神経質な奴ならたとえ外が雨でも逃げ出すかもしれない。
「誰もいないのかな?」
店の看板を見る限り、知らない店名だったので個人経営だろう。それにしても、商売する気のないゲームセンターだ。まあまあ広いのにもったいない。
何年前に導入されたのかと疑うゲームが並び、店内は全体的に薄暗い。あと、少し薬品臭さを感じる。店内を一周してみたが、おれ達以外の客はいなかった。客だけではない。店員も、奥のビリヤード場の受付でうたた寝している店長と思わしき初老の男しかいないので、いくら大通りから離れた立地といえど酷すぎてこれで経営は成り立つのか…大きなお世話だろうがいささか不安である。
せっかく来たので、ひとつくらいゲームをしてみることにした。気になったクレーンゲームに硬貨を一枚入れてみる。景品は、定番のお菓子の大入りパックだ。無造作に置かれ、いかにもすぐ取れそうな雰囲気だが、どうせアームが弱くて掴めないのだろう。
「え、設定甘過ぎなんだけど」
しかし、想像を遥かにこえる難易度の低さで、景品は一回で取れてしまった。お菓子の賞味期限を確認しても、まだ日は充分にある。明らかな設定ミスだった。
「ここ、もしかして穴場かも…」
調子に乗ったおれは、続いて隣のクレーンゲームにも手を出した。やはりあっさり取れる。一回で取れる快感がたまらなくて、気づいた時にはすべての台で景品を獲得していたのだった。景品を入れるビニール袋をいっぱいに膨らませて、十四松を探す。十四松は目を離すとすぐに何処かへ行ってしまうが、それでもおれを置いて行ったりはせず、ちゃんと戻ってくるので心配はいらない。
「兄さん大量っスね!」
入り口近くで十四松を見つけると、おれはちょっと自慢気に袋を見せつけてやった。
「うん、後で分けよう。お菓子もいっぱいあるから」
獲得した景品はバラエティに富んでいる。菓子の他にも、流行りのアニメのフィギュアやぬいぐるみも取ってしまった。この辺りはチョロ松兄さんとトド松に売りつけよう。一目惚れした猫のストラップはおれ用に全種類コンプリートしたので譲れない。
「十四松は何してたの?」
「あれ!あれ見てた!」
十四松が指差す先には、喫茶店のゴミ箱があった。
このゲーセンには珍しく喫茶店が併設していたが、喫茶店にはシャッターが降りていて入ることは出来ない。ただ、シャッターの隙間から喫茶店の中は見えて灯りは非常灯のみで、ボンヤリ光って中の様子がなんとなく分かる。ゲーセン内も薄暗いが、こちらは闇が広がったような暗さだ。
「猫が見てたの、あのへん」
「なんかあるの?」
「んー…」
おれにはなんの変哲もないただのゴミ箱にしか見えないのだが、十四松はもったいぶって答えを教えてくれない。そういえば、猫は何もない空間を見つめている時があり、それは霊がいるからだなんて言われている。いや、まさか…と頭では否定しても、こうも不気味な場所では信じてしまいそうだ。
ここに霊がいるのだろうか。十四松、お願いだから何か言ってくれ。
「ねぇ、そこになんか…あるの?」
十四松のハイライトの無い瞳は、ずっとゴミ箱を映していた。いつもヘラヘラと笑っているくせに、口をキュッと閉じてしばらく考えた素振りを見せると、おれの持つ袋に視線を移す。
「兄さん、そのお菓子ひとつください!」
ようやく十四松の声色が変わった。元気でバカでかい声の、不安を吹き飛ばす明るい声だ。視線の先に何があるのかの答えではないけれど、いつもの十四松に戻ったのでもうその話題に触れないようにしよう。
「好きなのいいよ」
「じゃあこれ!」
十四松が手にしたのは、筒状の紙箱でお馴染みのあのチョコレートだ。外に出したら絶対溶けるであろうそれは、正直取ろうか迷ったのだが、喜んでくれたようで選んで正解だったらしい。
「おすそわけどうぞー!」
しかし、十四松は封を開けることなく菓子を床に置いた。シャッターに当たって斜めになっているチョコレートに、おれの心のモヤモヤがまた復活してしまう。
おすそわけ、とは。十四松は『誰』におすそわけをしたのだろう。
「これで大丈夫。今日はもう帰ろ!」
「じゅ、十四松…大丈夫って…?」
何事もなくゲーセンを後にする十四松をおれは急いで追う。おれの情けない声に、十四松はにっこり笑って言うのだった。
「また明日も行ってあげよ?」
正直、おれはもうこのゲーセンに行きたくはなかった。
時間にして一時間、ゲーセンの滞在時間にしては短いのに、クレーンゲームで景品をたくさん取れていい思いをしたはずなのに。猫と十四松には見えるらしい『何か』に、嫌な予感しかしないのだから。
散々迷った挙句、十四松の「これで大丈夫」という言葉を信じてまた明日も来ることを約束してしまった。おれが断ったら十四松は一人でも行ってしまいそうで、兄として仕方なく、だ。
そして、景品の菓子を分け合いながらも、帰り道でアイスを奢ってやったのも兄として当然の事なのである。

 

翌日。ゲーセンに着くなり十四松は一目散に喫茶店前のシャッターに向かう。
「ない…」
昨日、シャッター前に立て掛けておいたチョコレートがない。廃れたゲーセンといえど、さすがに掃除はしているらしい。しょぼくれる十四松に、かわいそうと思いながらもおれは言ってやった。
「店員が片付けたんでしょ」
「でも、おすそわけなのに」
その『おすそわけ』が分かる奴がいるのなら説明をして欲しい。一晩、十四松の言う『おすそわけ』の意味を考えてみたが、おれは霊への『お供え』だとしか思えない。
喜びを人と共有したがる十四松は、美味しいものは必ずおれに『おすそわけ』をしてくれるが、怖い事や辛い事は自分だけで背負い込んでしまう。同じ日に産まれたけれど、おれは十四松の兄なのだから少しくらい頼ってもいいのに。
「君の落し物かな?」
おれ達が話していると、突然背後から声をかけられた。見覚えがある顔だ。確か、昨日受付でうたた寝していた初老の男。
店のロゴが刺繍されたエプロンを掛けているが所々ほつれて髪もボサボサ。胸に名札を付けていて、おれの想像通り役職は店長だった。この店にピッタリな風貌だ。
「昨日、掃除してたらここで拾ったんだけれど」
男の手にはあのチョコレートがあった。
「落し物じゃなくて。ぼくのじゃなくて」
十四松は他人とのコミュニケーションが苦手だ。言葉選びが下手な上に距離感を掴めないバカさは、持ち前の明るさを無駄にしている。
「すみません。弟のです」
十四松の代わりにチョコレートを受け取っておく。この男から初対面の人間恒例の「双子かい?そっくりだね」も聞けたし、早くこの場から離れたい。同じ顔だからジロジロ見られるのは仕方ないけれど、いつまで経っても慣れない。おれたちは近所じゃ知らない奴はいない悪名高き松野家の六つ子だ。だから、近所では気兼ねなくふらつける。見知らぬ土地はこれだから嫌いだ。
「冷蔵庫に入れておいたから、溶けてないと思うよ」
ひんやり冷たいチョコレートは、暑い中歩いてきたおれにはちょっと嬉しかった。チョコレートも返ってきたし、世話になったがやけに親しげに話かける奴は苦手だからもう放っておいて欲しい。
「お姉さん、チョコレートが好きだから」
「え?」
十四松は話をややこしくするプロなのか。
「いえ、なんでもないんで。大丈夫です」
また新たな話題を提供しようとしていて、おれは急いで二人の間に入って十四松の開けっ放しの口を閉じさせる。
店長が去って姿が見えなくなるのを確認すると、おれは十四松にチョコレートを渡した。
「もう返って来たんだからいいでしょ。こういう時は黙って受け取っておけばいいんだよ」
やんわりと注意してやるが、十四松は珍しく不満そうな顔をしてる。
「聞いて、十四ま…」
「ふんぬっ!」
おれの言葉なんて完全に無視して、突然、十四松はチョコレートをゴミ箱めがけて投げつけた。目の前にはシャッターという障害があるにも関わらず、器用にシャッターの隙間をすり抜け、豪速ストレートでゴミ箱へ飛んでゆく。
ガコンッ
それが見事命中してしまうのだから、十四松は伊達に『野球大好き野球マン』を名乗ってはいないらしい。
「ちょ…!」
「ストライークっ!」
チョコレートは、十四松の荒技でゴミ箱にダンクされた。もう使っていないであろうゴミ箱に、食品を入れる奇行におれは慌てて辺りを見まわす。よかった、店長には気づかれていない。
「最初からこうすればよかったね!」
何故か誇らしげに言ってきたが、褒められた事ではない。でも、この条件でゴミ箱に入ったのは正直…凄い。しかし、感心していられない事態がおれの身には起きていた。

チョコレートが投げ込まれ、蓋が開いたその一瞬。蓋の隙間から、おれは見てしまった。
細くて真っ白な女の手が、助けを求めるようにこちらに伸びているのを。

落ち着け自分、よく考えてみろ。
あんな小さいゴミ箱に、人が入れるものか。というか、人が入っている意味が分からない。暗かったし、腕のように見えただけでただのゴミの塊ではないだろうか。

そう…見間違いに決まっている。

自由な十四松は、興味を無くしたようにあっさりとシャッターから離れ、ゲームを物色し始める。マイペース過ぎる弟にため息をひとつつき、先ほどの幻覚を忘れるよう頭を少し振ってから、おれもゲームを探すことにした。
結局、たどり着いたのは昨日と同じあのゲームである。昨日と同じ容量で、アームの力頼みのプレイだった。普通に掬って、穴まで運ぶ。テクニックなんてあったもんじゃない。しかし、掴んだかと思わせても景品はアームから抜け落ち、元あった場所に戻ってしまった。
昨日、あれだけ取り放題だったクレーンゲームなのにうまくいかない。それに、ボタンを押すタイミングを見誤るばかりだ。
元々、ゲームは好きだが上手い方じゃないし、昨日はたまたま運がよかっただけだと思うことにした。悔しいけれど、ここで諦めないとただでさえ少ない所持金が更に摂取されてしまうだろう。諦めは肝心、人生を諦め来世に賭けるニートが言うんだから間違いない。
「これでやめよ…」
最後と決めた百円玉を入れようとしたが、手を滑らせて落としてしまった。百円玉はコロコロと転がって、筐体の下に潜っていく。
「あ」
たかが百円、されど百円。金は尊いもので、一円たりとも無駄にはしない。おれは迷いなく筐体の下に手を突っ込んで這わせる。ザラザラした感触は埃や虫の死骸だろう。
しかし、この時々ペタリとくっつく糊の感触はなんだろうか。疑問に思いつつ百円玉を探していると、ようやく物体に触れた。

プチンッ
柔らかいそれは、おれの爪に引っかかって弾け、滑りのある液体がベットリと手につく。明らかに百円玉ではないそれに、おれは血の気が引いた。手を引っ込めて見てみると、おれの手は黒い粘ついた何かと、透明な何かの液体で汚れている。
おれは恐る恐る下を覗いて、そして後悔した。
手を隠して全速力でトイレに駆け込む姿は、きっと滑稽に見えたに違いない。

痛くなるくらい擦って手は綺麗にした。
液体の正体が何かなんて知らない、知りたくもない。自分に実害があるとは思わなかったが、これで確信した。
このゲームセンターはおかしい。
ひたすら無心で洗いまくり、爪の間までピカピカにして一旦落ち着く。早く帰ろう。十四松がなんと言おうと、こんなところ二度と来るものか。おれの意志は固まり、蛇口をしめて十四松を連れて帰ろうと顔をあげる。

鏡に、おれでなければ十四松でもない、もう一人の客が写っていた。
片目のない女が、入り口に立っていたのだ。

恐ろしい状況に置かれると、人は声があがらない。口をパクパクさせるだけで叫ぶことが出来ず、女から目が離せなかった。長い髪は乱れ、右目がぽっかりと空洞な女は、虚ろな左目でずっとおれを見ている。花柄のワンピースが所々破れていて、そして黒く汚れていた。
喉がヒュウヒュウ鳴っている。体が痺れて動けない。
誰か…この際あの店長でもいい。誰か助けに来てくれ。
「すまないが」
絶望にくれたおれを救ったのは店長のダミ声だった。その声に、女の姿はスッと消えてしまう。
「体調が悪いのかな?」
「はッ…うぐ…う…」
トイレの入り口ののれんが捲れ、店長が入ってきた。動けるようになったが、腰が抜けて蹲るおれの姿はどれだけ無様に見えただろう。それでも優しく手を差し伸べてくれる店長に、おれはすっかり心を許す。さっきは早く立ち去ってくれと願い申し訳ない。
「おせっかいだったらすまないが、真っ青な顔してトイレに駆け込むから気になっちゃってね。立てるかい?」
またうたた寝してしているものとばかり思ったので、その優しさに驚く。他人の手をとるのはおっかなびっくりだが、店長の力を借りておれはようやく立ち上がることが出来た。
「助かった…」
他人を避けて生きてきたから、人の優しさに触れておれは少し泣きそうだった。しかし、涙がこぼれないように顔をあげ、店長の顔を見ると、おれのそんなあたたかい気持ちがスッと引いていく。
「君どうしちゃったの?何か、見た?」
蛇に睨まれた蛙という表現が正しいのか分からないが、人間の目はこれほどまでに人間を威嚇する力があるのだと知った。さっきの女の目より、ずっとおれの体温を奪っていく。
店長の真っ黒な瞳は、泥沼のように濁って感情が渦をまいている。グニャリと歪んだその闇は、人を不安にさせた。
「あのッ…筐体の下に…異物が、人の…が、がん…」
「それはネズミだね」
怯みながらも精一杯ゲームセンターの異常を訴えるおれだったが、店長に即訂正されてしまった。前言撤回。この男、このゲームセンターの店長だけあってやはりおかしい。
「異臭がすると思ったらネズミの死骸か。いやぁ、ごめんね。後で片付けるよ」
「これ…ネズミのじゃな」
「この辺りは急に猫が増えちゃって、困っちゃうよホント」
この店長、おれにこれ以上なにも言わせないために遮ってしゃべっている。分かっているんだ、この異常さを。子供に言い聞かせるようにやさしい口調で、でも反論は許さない目で睨まれて、おれは力なく「そうですか」と言うしかなかった。
納得はしてないし、あれをネズミと見間違うわけがない。だってあれは…
「不快な思いをさせてしまった。お詫びにいくつかゲームを無料で開放しよう」
「だ、大丈夫です。帰るんで」
おれは自然を装い視線をそらす。これ以上店長の目は見られなかった。蛇は蛇でも、こいつはバジリスクだ。これ以上は目を合わせてはいけない。あの闇に吸い込まれてしまう。
おれはおれが見たものを真実と信じる。確かにおれは、ネズミなんかではないそれと『目が合った』のだから。

店長はクレーンゲーム周辺に消臭剤をばら撒いていている。おれ達が帰って誰もいなくなってから、あの異物を回収するのだろう。チラチラとこちらを見られては、おれだってご期待通り一秒でも早くここを出たい。
「十四松、十四松」
ゲームの最中でも構うものか。カーレースゲームに興じていた十四松の腕を強く引っ張る。
「帰ろう」
十四松が操作しているカートがコースアウトして壁にぶつかっていた。その間、後続車に抜かれて最下位となったが、十四松は怒るどころかおれの手をそっと握ってくれた。
十四松の目は、明るい狂人にふさわしく焦点が合わなかったりで異様だ。けれど、瞳の奥にキラリと輝く光はおれに安心をくれる。
「おじゃましました!じゃあね!」
繋いだ手を振り回し、いつもの元気のよさで歩きだす。まっすぐゲームセンターの出入り口に向かって、蝉の大合唱でうるさい外に出た。日差しが強くておれの体温が一気に上がる。
「にゃあ」
昨日の黒猫が、今日はお菓子を持たず建物の日陰に寝そべっていた。よく見ると、今日は一匹ではなく、後ろに猫集会メンバー数匹が集まっている。あの、ゴミ箱が見える窓から中を覗う数匹はにゃあにゃあとまた会議していた。
「今日もおつとめごくろうさまです!バイバイにゃんこ!」
猫にその挨拶はどうだろう…
しかし、おれ達は六人いる兄弟の全員が二十歳を過ぎても親のすねかじりのニート。まともな感性では成し得ない偉業だ。自立しないし責任もない、なんて都合のいいご身分なのだろう。
毎日フラフラと遊んでいるおれ達は、知らないことが多すぎて猫のほうが物知りな可能性がある。
おれが猫語が分かっていたら、あの体験を避けられただろうか。どんどん遠くなるゲームセンターを横目で見ると、猫がガラスを引っ掻いて店長に怒られていた。店長の後ろにぼんやりとした黒い影が揺れていたが、十四松が手を引いてくれるからすぐに前を向けたのだった。

 
あんなことがあって夜は落ち着いて眠れなかった。目を閉じれば、あの女と店長の目に暗闇でギロリと見られているようで完全に寝不足である。
朝ごはんを済ませ、今でくつろいでいるとチョロ松兄さんが新聞を広げて難しい顔をしていた。おれと兄さんの二人しかいない空間はとても静かで、ついうとうとしてしまう。
「今日どっか行くっ!?」
「…今日は行かない」
ふすまが勢いよく開くと、十四松がおれに駆け寄ってきた。どこか、なんて言ってるくせに野球のユニフォームを着ているのは何故なのか。もう答えは決まっているのだろうが、寝不足のおれが炎天下に放り出されたら倒れること確実だぞ。
「あー…十四松。今日は地元の高校が甲子園に出てるから、僕と応援しよう」
新聞のテレビ欄を指し、チョロ松兄さんが助け舟を出してくれた。
「今年はすごい投手がいるらしいよ。母さんが買ってきたブドウもあるし」
「見る見る!」
十四松の面倒はチョロ松兄さんに任せ、おれは目を瞑る。二人がそばで騒いでくれているおかげで、おれにまとわりついていた不安はもう感じなかった。

 

✽✽✽✽✽✽

 

「そういえば昨日、十四松は一松どどこに行ってたんだっけ」
チョロ松兄さんが、新聞を広げてきいてきた。ぼくは、地元高校のホームランを見ながら答える。
「ゲームセンターだよ?」
「それって、まさかここじゃないよね?」
ぼくの目の前に新聞を突きつけ、とある記事を読むように言われた。
【常連客殺害 ゲームセンター店長を逮捕】という見出しの記事には、昨日と一昨日に一松兄さんと行ったゲームセンターの写真と店長と、綺麗な女性の顔写真が掲載されている。
あのお姉さん、本当はこんなに綺麗な人だったんだ。目がないからよく分からなかった。
「常連の女性を殺して、ここのゲーセンの店長が逮捕されたんだよ。バラバラにしてゴミ箱にいれて隠してたとか、神経疑うよね…」
記事には、ぼくと一松兄さんが行った前の日である一昨昨日に殺されたとあった。もし、もっと前に出会っていたら…お姉さんは殺されずに済んだのだろうか。暴行される前の、明るいお姉さんに会ってみたかったなぁ。
「どこだっけ?覚えてない!」
「…そう」
チョロ松兄さんはちょっと疑っていたけれど、ぼくはニコニコしてやり過ごした。
お姉さんの落し物は一松兄さんが見つけたみたいだし、犯人は逮捕されたんだ。お姉さんがお礼を言おうとして、逆に一松兄さんを驚かせてしまったけれど。
だから、もう怯えなくていいんだよ…って一松兄さん伝えたいんだけど、何て言ったら伝わるのだろう。ぼくは伝えるのが下手だから、すごく困ってしまった。

外で猫達がにゃあにゃあ鳴いている。
縁側を覗くと、猫が一列になってぼくを見ていた。その中にあの黒猫がいて、きょうは虹色のリボンをしていた。みんな、可愛がってくれる一松兄さんに会いに来たのだろう。
「アイリスだ」
チョロ松兄さんが、黒猫が咥えていた花を受け取って教えてくれた。
「五月くらいの花じゃなかったっけ。どこで生えてたんだろう」
花はみんな綺麗だけど、この花は特別だとぼくでも分かった。猫が一生懸命運んでくれた花は優しい香りがする。
「アイリスの花言葉、十四松は知ってる?」
「分かんない!」
「『メッセージ』とか『希望』とか。あと、『使者、よろしくお伝えください』ってのもあるね。この子達、誰かに頼まれたのかな?」
花の種類を気にしたことがなかったぼくには目からウロコな話だ。チョロ松兄さんはいろんな事を知っていてすごい。
ちゃんとお使いが出来た猫にお礼を言って、一松兄さんに必ず渡すと約束をした。

これで伝わるかは分からない。人に気持ちを伝えるのはとっても難しいことだから。
でも、きっと…これが一番伝わる気がして、ぼくは一松兄さんの元へ急ぐのだった。

 

(おわり)

↑ ページトップへ