回送電車

お題:駅/とわこおそ松小説

頭が痛い。体も痛い。
自分だけ渦巻く重力の真ん中に置き去りにされたようで、冷たく硬いベンチに体がめり込んでいく気がする。
左右から体を捩じられたらきっとそうであるように、胃の中の内容物が外へ外へと出ようとしていた。
まずいと思い口を押え懸命に嘔気を押えこむが、無理に抑え込む所為でますます具合が悪くなる。
おそ松は隣に転がっていた買った記憶の無いペットボトルの水を飲みほし、げっぷ交じりのため息をついた。

数時間前、おそ松は馬券を握りしめ競馬に興じていた。
ここ最近ギャンブルというギャンブルに、とことん負けてばかりいたため財布の中はすっかり空っぽだ。
最後の1枚となった紙幣を馬券に使うあたりクズっぷりは相変わらずであるが、神様もこの男が可哀想に思えたのか万馬券を恵んでやったようだ。
なけなしの1000円が化け、一日にして小金持ちになった彼は調子にのって居酒屋を数件飲み歩いた。
とはいえ質のいい酒をお行儀よく飲む性分でもなかったため、大量のちゃんぽん的アルコール摂取の末悪酔いし、現在おそ松はプラットフォームのベンチにうなだれている。

先ほどぬるくなった水を飲みほしたおかげか、若干気分は良くなりおそ松は体を起こした。
ベンチに壊れた人形のように四肢を投げ出して寝ていたせいで、節々が痛い。
せっかく競馬に勝ったのだから兄弟達と豪遊すればよかった、そうすれば少なくとも駅のホームで寝る事もなかっただろうと、今更後悔した。
そもそも、今自分がいる場所がどこだかもわからないのだ。
なけなしのプライドが、情けなさにチクチクと痛む。
しかし駅の案内板をみれば自宅の最寄り駅のすぐ近くではないか。
4件目の居酒屋に入った時点から記憶は途切れていたが、ここまで辿り着けた自分をおそ松は褒めた。
だが、ぐっすり寝た気持よさはあるので、そろそろ帰らなければならない時間のはずである。
おそ松は3倍にも膨れ上がっているのではないかと思われる重たい頭をもたげ、ゆっくりとあたりを見渡した。

ホームはくすんだオレンジ色のベンチが等間隔に設置され、駅全体を蛍光灯や自動販売機の無機質な光が冷たく照らしている。
見通しの良いまっすぐなホームは雑木林と住宅街に囲まれており、周辺に住む人間くらいしか利用しないのだろう。
線路自体は2本しかないような駅ではあったが、停車するたびおそ松は数人の乗客が乗り降りするところを見かけていた。
しかし今日はやけにひっそりとしている。
線路が続いている雑木林があまりに暗いこともあり、おそ松は一瞬終電を逃したのかと肝を冷やした。
けれどよく見ればくたびれた灰色のスーツを着たサラリーマン風の男が、電車を待っていたのでそれはなさそうだ。
一安心はしたが、人の少なさからすると次回の電車が最終だろう。
おそ松は電光掲示板を見上げる。
ところが、古びた電光掲示板は黒い背景にでたらめなオレンジ色の文字が流れているだけで、何時に電車が到着するのか分からない。
まだ酔いが残っているせいで書いてある文字が理解できないのかと目をこすり頭を振ったが、表示の乱れたカタカナと数字が混ざりあった文字が永遠と流れるだけだ。

「おいおいしっかりしろよ」

ぶつぶつと悪態を付くが、次の電車に乗り遅れてはいよいよ困ってしまう。
不満を滲ませ覚束無い足取りでサラリーマンの並ぶ整列線に並ぶと、大きな溜息をついた。
おそ松には電車の時間を調べるような手段が無いため、大人しく待つ他なさそうだ。
ただ暗闇が続くばかりの線路の先に、電車のヘッドライトが見えてきやしないかと目を凝らす

しんと静かな様子におそ松は肩を落としたが、隣のサラリーマンなら電車の時刻を知っているかもしれないと、ふと思い立つ。

「あのー、電車っていつくるんですかね?電光掲示板壊れてわからなくって」

酔いのせいで普段より4割減していたがおそ松は人懐っこい笑みを浮かべ、男性の顔をのぞき込む。
しかし、サラリーマン風の男は気づいていないのか、おそ松の方を見ることも無く返事もしなかった。

「あの、聞こえてます?」

男性の顔の前で手を振ってみるが、下をうつむいたまま反応しない。
男性は縁の太い大きな老眼鏡をかけ、もっさりとした髪に顔が隠れているので、どんな表情をしているのかもわからなかった。
何度か目の前で手を左右に振るが一向に反応を示さないので、おそ松は会話するのを諦め、宙ぶらりんの手をジーンズのポケットにしまった。

よく見ればサラリーマン風の男は夏だというのに汗一つかかず、厚手の高そうなスーツを着ている。
仕事帰りのように見えるのに、鞄すら持っておらずだらりと腕を下ろしていた。
まるで両腕が重くて仕方が無いかのように。

薄気味が悪くなったおそ松は乗車口を変えようとするが、そう思ったのと同時にパーっと甲高い汽笛の音を鳴らして電車がホームに入ってくる。
耳をつんざく汽笛の音に、心臓が飛び上がり体もびくりと跳ねた。
おそ松の口と心臓が直結していたら飛び出していたところだ。
耳が痛くなるほどの音量はタダでさえ痛い頭に響き、脳を直接揺さぶられる感じがしておそ松は頭を抑える。
しかし、電車の到着にやっと帰れること、心底ほっとした。

汽笛の音以外は嘘のように静かで、電車は滑らかに減速する。
そして所定の位置にきっちりと停車し、扉が開いた。
しかし、車両の中は見事に真っ暗で誰も乗ってはいなかった。
おそ松はここの車両だけ停電か何かなのだろうかと、他の車両の様子も見るが同様に真っ暗だ。
すると変声機を介した声と同じ耳障りな甲高さと、地を這うような低さが入り混じったアナウンスが聞こえた。
ノイズ交じりで不快なアナウンスはしきりに、こう言っている。

『カイソウ電車デス…カイソウ電車デス…』
「なんだ、回送電車か」

扉が開いてしまったのは何かの操作ミスなのだろう。
車内が真っ暗なのも回送電車であるなら頷ける。

『お乗りのお客様は奥まで詰めてご乗車ください…』

回送電車といったそばからこのアナウンスはおかしいと、訝しげな表情をしたおそ松だったが、それを聞いたおそ松の隣にいた男性はふらりと一歩前へ進むと電車に乗り込んでいってしまった。

「ねぇ!おじさん!それ、回送電車だって!乗っても意味ないよ!」

明らかに様子のおかしい車両に乗り込むなんて正気ではないと思ったが、この人気のないホームに一人置き去りにされるのも嫌だった。
電車が来る予定もわからない電光掲示板に、鼓膜を直接なぜるような不快なアナウンス。
自分の酔いのせいにはしていたものの、どうにも状況がおかしすぎる。
最終電車を待っている乗客が一人だと言うことも今考えると異常であった。
そんな中、いかに挙動がおかしくとも唯一の人間にいて欲しいと考えるのは常ではないだろうか。
しかし、その男性は結局おそ松の声は聞こえなかったのか、真っ暗な車両に身体を押し込むように乗り込んだ。

「お、おいってば!」

おそ松は男性に聞こえるよう車両に近づくとその車両の中は真っ暗な訳ではなく、人型をした黒靄でぎゅうぎゅう詰めになっていることに気が付いた。
電車の中に渦巻く黒い靄は人の形を成したり霧散したりと、水にインクを垂らした時のようにぐにゃりぐにゃり形を変えている。
扉の近くにいた影の一人がおそ松に手を伸ばすが、扉の外にから出るか出ないかの所で霧になって車内に吸い込まれていった。
触れられはしなかったが、ひゅっと喉が鳴りのけ反りながら車両から離れる。
結局男性も車内に吸い込まれるように、黒い影にもまれながら車両の奥へ奥へと進んでいった。
呆然と立ち尽くすおそ松は、無数の影と手に囲まれている男性にもうこれ以上近づくことも、声をかけることもできなかった。
しかしやっとおそ松の存在に気が付いたのか、男性はふと顔を上げた。

『かえりなさい』

声は聞こえなかったが、確かに口はそう動いて電車の扉はガコンと大げさな音を出して閉まった。
重たい車両をぐんと前へ引っ張る力で電車が走りだしホームを出発する。
目の前を走り去る10両編成の長い電車の中には、先ほどみた黒い影がひしめきあっている。
一部黒い影ではなく男性と同じように、服を着て一見普通の人と見まごう人影もあった。
しかしそれ以外は誰もがうつろでふらふらと、ただ電車に乗って揺られておりどの影からも生の気配を感じられない。
よく見れば車体自体もこの路線で見かけるものではなく、酷く傷んでいて相当古いもののようだ。
何処へ向かうかも分からない電車の中で黒い影にもまれながら、男性もいつか影の集合体になるのだろうか。

「君、もう終電は終わったよ。こんなところで何してるの」

不意に肩を叩かれ、おそ松は驚いて後ろを振り向くと紺色のスーツに帽子をかぶった駅員が立っていた。
駅員の少し苛立った顔を見ていると、徐々にむわっと蒸した夏の夜の空気が押し寄せおそ松を包んだ。
帰ってきたのだ。

「駅の中は見て回ったはずなのに、どこに隠れていたの」
「え、いや、さっきからずっとここに…ついさっき回送電車が来る前から…」
「回送電車?この駅には回送電車は止まらないよ。さあ、もう電車は来ないからタクシーでも拾って帰った帰った」

おそ松は駅員に連れられ駅を追い出され、駅前に停まっていたタクシーの後部座席に乗り込む。
吐き気は収まったものの未だ頭痛は酷く、頭の中で汽笛の音が鳴り響いているようだった。
運転手に行き先を告げ、背もたれに沈み込むと少し安心しやっと一息つくことが出来た。
冷房がきいた車内に、ウィンカーを出す控えめな音、車の揺れすべて心地よく眠気を誘う。

「お兄さん、終電のがしちゃったんだねー」
「あ、はい気付いたらもうなかったんですよね。あはは」
「今日は電車のダイヤ乱れてたし、お兄さんみたいな人を何人も乗せたよ」
「ん?何かあったんですか?」
「あれ、知らないの?今日あの駅で人身事故があったらしいよ」
「人身事故…?」

うとうととしていたおそ松だったが、運転手の話に無理矢理眠気を引き剥がされた。
人身事故なんて都内ではよく聞く話であり、特に急ぐ事もないニートであればより一層気にもとめない事だ。
しかし、先ほど体験した不思議な出来事もありおそ松は肌に泡が立つのを感じた。
首の後ろを撫で付け、体の震えを誤魔化す。

「乗せたお客さんもね、丁度居合わせちゃったみたいで」
「…え、事故に?」
「そう。50代くらいの男性だったらしいんだけど、夏なのに厚手の上等なスーツを着ていたらからおかしいなって思っていたんだって」

夏なのに厚手の上等なスーツ…その言葉を聴いた途端ドクドクと心臓がでたらめに脈打ち、暑さとは関係のない冷たい汗が流れる。
シワになるほどおそ松は自分のTシャツを握りこみ、浅い呼吸をした。
これ以上核心的なところは聞きたくないと思うが、なんと言えばいいか分からず口を曖昧に開くばかりで運転手の話を止めることができない。
耳を塞ぎたい衝動を抑えるだけで精一杯だった。

「スーツの色は灰色っぽかったて言ったかな。メガネをかけてたらしいんだけど、如何にも暗そうな顔して線路を見てたから、まさかと思ったってね。そしたら、そのまさか。特急電車が入ってきたところで身投げしちゃったみたい」

きっとそのスーツが一張羅だったんだろうね、と運転手はさもなさげにしみじみと言った。
すべて一致していた。おそ松がみたあの、回送電車に乗っていった男性と。
運転手曰く人身事故が起きたのは夜の九時半頃起きたらしいが、その時おそ松は居酒屋で機嫌よく酒を煽っていた。
無論おそ松が駅にいる頃には、あの男性は既に生きていなかったという事だ。
夢だと思いたかった。自分が酔っているせいにしたかった。
しかし運転手の話で、確信めいた手がかりを手にしてしまった。

「成仏、できるんですかね…」

押し黙っていたおそ松が急にそんなことを言うので、運転手は赤信号でゆっくり止まると俯く彼のことを振り返る。
せめても、あの電車が天国行きの電車だったらいいと思ったのだ。

「自分を殺した人間は、成仏できないって言うけどね…」

しかし返ってきた答えは意に反したものだった。とは言え、おそ松もほとんど予想していた回答だったので、反論することなく頷いた。
そもそもあの電車には行き先は示されていなかった。
カイソウとだけ書かれた電車の行き先は知る由もない。
きっとあの電車は線路に身を投げた人々を拾って、走り続けているのだ。
行き着く先もなく、自我を失いゆらゆらと揺れる煙になってもずっと終わらない線路を走り続けている。
間違ってあの時乗っていたら…と考えるが、深い息に吐き出し思考を停止させた。

気づけば緊張した手は強ばっており冷たくなっているのに、手のひらは汗でビッショリだ。
おそ松は手を開いて閉じてを何度か繰り返し、洋服の裾に汗を強く擦り付け、見覚えのある風景になってきた景色を車窓から眺めた。
もう夜中だというのに人は行き交い、飲み屋の電気は煌々と灯っている。
確かな足取りで歩く人々の中に黒い影はどこにもなかった。

そして今日何度目かも分からない身震い(今回は尿意に近かったが)をし、柄にもなく兄弟達に早く会いたいと思うのだった。
もう2度のあの電車に出会わないことを祈りながら。

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