掛けてはいけない電話番号

お題:掛けてはいけない電話番号/蜜葉チョロ松小説

春から夏に変わる前の、乾いた若葉のにおいが教室の窓から入り込む。いつもならば気持ち良いと伸びのひとつでもしたくなるのに、今日ばかりは新緑の薫りすら疎ましい。チョロ松は手元に小さく小さく隠すように折りたたんだ紙切れを、手のひらの中で誰にも見つからぬようにと握りつぶした。長方形の5×15センチの紙にずらりと並んだのはこの前の実力考査の結果を表す数字で、点数は少ないが順位を示す数字は多い、つまり最悪の結果だった。
また母さんにお小言を言われる。残念そうに眉をしかめる母の顔が脳裏に浮かび、成績表を握りつぶす手に更に力が篭った。
別に勉強をしないわけではない。6つ子の中で言えば、一番真面目に授業に参加しているしノートも取っている。試験勉強だってヤマを張ってきっちりと勉強する。なのに、いつもチョロ松の成績は下位のままだった。
兄弟の中で一番勉強ができるのは意外だが一松だ。学年トップか最下位かと両極端なのは十四松で、大体真ん中くらいはカラ松とトド松。チョロ松より成績が悪いのは長男でありキングオブ馬鹿の呼び声高いおそ松くらいで、それがチョロ松を苛立たせた。真面目に勉強している自分が、つまらないケアレスミスで成績が上がらず、遊んでばかりの屑の兄弟たちが自分よりも上にいることが我慢できない。おそ松はチョロ松よりも成績が悪いが、本人は気にせずあっけらかんとしていることも余計にチョロ松の気持ちを逆撫でする。幾ら仲良し兄弟と言ってももう高校生になれば同世代のライバルとして意識することだって沢山ある。チョロ松は特に、兄弟の中でもその意識が強かった。
「次こそは…もっと点数あげとかないと…せめてトド松やカラ松より上位に…」
堅く潰された用紙の角がちくちくと手のひらを刺す。まるで、もっと頑張れとつつかれているようで大層気分が悪かった。
臓腑に黒いもやに似た感情が溜まっていく。埃にも似たそれはじゃりじゃりとした不快な気分を齎してきて、何とも気分が悪い。追い出そうと溜息を吐けど、ちっとも楽にはならなかった。寧ろ、前に座る女生徒が吐息を掛けるなとばかりに睨んできて余計に不快な気持ちになる。
チョロ松は前の女生徒の背中が吹き飛んでしまえと呪いながら一際大きく溜息を吐く。直後、それを掻き消すような女生徒の舌打ちが響き渡った。

放課後になっても気分はさっぱり晴れなかった。携帯プレーヤーで大好きな橋本にゃーの新譜を聴いても購買で好物のお菓子を買って食べてみても、成績表を見てがっかりする母の顔がちらついて少し盛り上がった気持ちはすぐに萎えてしまう。
頭が良ければ良かった、もしくは十四松やおそ松のようにどんな成績でもあっけらかんとして笑い飛ばせる性格だったらどんなに良かっただろうか。
いつもは嫌な事を忘れさせてくれるにゃーの甘い歌声も今は鼓膜の表面を無機質に通り過ぎてゆく。耳から乱暴にイヤホンを引き抜くと、突端に周囲の音がクリアになった。その途端に耳に飛び込んできたのは噂話に興じる女子生徒たちの耳障りな笑い声だった。
「やぁだーー!絶対嘘ッしょそんなん!!」
「マジだってばー!」
げらげらと下品な声で笑う彼女たちに眉を潜め、早くその場を離れようとしたチョロ松の耳に、こんな言葉が飛びこんできた。
「ユカの友達がやって成功したらしいよ、カケルくんの電話番号!」
カケルくんの電話番号、耳慣れない単語に足が止まる。
「なんかさー、夜中の12時にゼロを44回押すとカケルくんから電話がかかってくるんだって。そのと時に質問すると、どんなことにも答えてくれるんだって。ユカの友達がそれで彼氏の浮気突き止めたって!」
「嘘くさくないそれー!そういやさ、掛けたら死ぬ電話番号ってあるじゃん…」
夏らしく怪談話が始まったところでチョロ松はその場を離れた。その耳には、カケルくんの噂話がいつまでも残っていた。

「…チョロ松も頑張っているんだけどねえ…」
母、松代の溜息が突き刺さる。テスト前は一生懸命勉強して、提出物も真面目に出しているのにいざというところで本番に弱い息子が、母には頭痛の種だ。
「あんた、勉強は頑張っているんだからもっと落ち着いてテストに挑みなさい。」
「はい…」
「今回は残念だったけど、次はきっと結果がついてくるわよ」
頑張るのよ、と頭を撫でて母は夕餉の準備に向かった。今日はチョロ松の好物のカレーを作るねと笑う母の気遣いが逆に苦しい。くしゃくしゃになったテスト結果を畳んでいると、おそ松とトド松が待ってましたとばかりにからかいに来た。
「チョロ松〜、今回の結果はどーだった?」
「頑張ってたもんね〜?」
ニヤニヤと笑う二人は、きっと結果を知っているのだ。そのくせこうやってからかいに来るのだから、本当に6つ子というやつは兄弟ではなく5人の敵である。
「うるさいな、関係ないだろ」
そう突っぱねても二匹の悪魔は纏わりついてくる。
「チョロ松兄さんて、ほーんと要領悪いよね」
「そうそう。お前、いっつもテスト前は俺たちに勉強しろしろって言うくせにいざテストやると俺とどっこいくらいの成績でしょー?お兄ちゃん心配だわ」
「それはっ、今回はたまたま寝不足だったのとヤマのリサーチ不足だっただけだし!」
「はい出た、言い訳!大体意識高い系の発言してる割に詰めが甘いんだよなお前」
図星だった。兄弟たちとは違うと高みを目指してみても天性の要領の悪さはどうにもならない。
「うるさいよ!大体一番馬鹿なおそ松兄さんに言われたくないし!ほんっと名前通りのお粗末さだよね!」
「何だとー!うるせー!自意識ライジングサン松め!」
「何だよそれ!」
「うるさーーーーーーい!!!」
兄弟げんかは母の一喝で強制終了させっられたが、チョロ松の中にはいつまでも今回の結果が燻り続けていた。

深夜、6つ子達は大きな布団で一斉に眠る。いびきや歯軋りが煩いが、それももう慣れたのか寝付けないなんてことは滅多に無い。しかし、今日のチョロ松はいつまで経っても眠れなかった。
母のしょんぼりした顔とおそ松たちにからかわれた事、それからテストが返ってきたときのガッカリした気持ちがぐるぐると頭を巡る。次こそはいい点を取れるわと母は言うが、それは慰めの意味が強いことも分かっていた。
いい点を取って周りを見返してやりたい。兄弟達からすごいと言われたい。母から褒められたい。一度膨れ上がった自意識はどんどん大きくなり、自分でも収集がつかない。目も冴えてしまって、眠りに着くことも出来ない。
溜息と共に何度目か分からない寝返りを打ったとき、ふと昼間の事を思い出した。
何でも教えてくれるカケルくんの噂話。
壁掛け時計はあと数分で0時を示している。12時に0を44回、そうして聞きたいことを聞けば何でも答えてくれる。何でも、そう、次に行われるテストの答えすら教えてくれる。
長針が58分を指した時、チョロ松はそっと布団から起き上がって1階へと向っていた。
「こんなの…ただの気休めだ。あんな噂話なんて信じてないし。だけど、次に向けて投資するって言うか努力するのはいいよね…」
誰に向けるでもない言い訳を呟きながら、黒電話の前に立つ。居間の時計は丁度0時を指した時、チョロ松はそっと黒電話の0に指をかけて44回回した。ジーッという音とダイヤルの戻るかちゃんという音か交互に聞こえる。プッシュホンとは違って次を打つまでに少しロスがあることに焦りながら、44回を何とか回した。
最後にチンと軽い音を立ててダイヤルが終わる。しんとした静寂が帰ってくる。噂なら、この後電話が掛かって来るはずだ。チョロ松は玄関の壁に凭れるようにして腰掛けた。べたつく空気のせいか、板張りの床がひんやりして心地よい。はぁ、と一息ついたところで、電話機がけたたましい音を立てた。

リリーン、リーン

時代遅れの黒電話特有の音。こんな時間に電話を掛けて来るような非常識な知人はいない。そうなると、やはり。
少し震える指で受話器を取る。黒い受話器は生暖かく、ずしりと重かった。
「も、もしもし?」
ザザ、ザザーと砂嵐の様な音が聞こえる。その奥から、ふつり、ふつりと泡のような囁き声が聞こえてきた。
「……ね…」
「え?」
「…い……く…」
「もしもし、えーっと、これって掛けたら何でも答えてくれるって聞いたんですけど…」
声が遠くて相手が何を言っているか分からない。良く聞こうと受話器を耳に押し当てると、急にクリアになった音声が聞こえた。

「 今からそっちにいくね 」

「え…?あのー。え?」
どこかで聞いた音声アナウンスの様な機械音が一方的に告げたかと思うと電話が切れた。何なんだと受話器を見つめても、もう電話が切れた時のツーツーという音しか聞こえなかった。
「今からいくって、何それ」
呆然としていると、受話器を置いていないのにまたベルが鳴った。
「え、え?へ?」

「今、公園まで来たよ」

一方的に告げた電話は切れる。
気味が悪いと受話器を置くと、再びけたたましい音を立ててベルが鳴った。
「あの、悪戯はやめてください」

「今、角を3つ曲がったよ」

そして一方的に電話は切れる。
「これって、まさか…」
公園を出て、角を3つ曲がる。ひょっとしてこれは、と思ったときに再度電話が鳴った。
恐る恐る電話を取る。

「今、魚屋さんまできたよ」

間違いない。電話の相手は、徐々に自分の家に近づいているのだ。トト子ちゃんの家まで来たと言うことは、もうすぐこの家だ。何故相手は自分の家を知っているのか、寧ろ、誰なのか。嫌な汗が背中を伝って落ちていった。
「こ、これ、やばいんじゃ…」
親や兄弟を起こそうか、でもなんと説明すればいいのだろう。震える手で受話器を置いた瞬間、また電話機が音を立てた。
「うわぁあっ!!」
思わず受話器を取り落としてしまう。その黒く開いた穴からは聞きたくない音声アナウンスの声が聞こえてくる。

「今、家の前まで来たよ」

それと同時に、玄関の引き戸ががたんと音を立てた。
「や、やばい!やばいやばいっ、マジかよ!」
慌てて内側からも引き戸を押さえる。玄関の向こうにいる相手が強い力で引き戸を引いている。鍵をかけているにも関わらず、扉は今にも開きそうだった。
「やめ、やめてっ!もういい、もういいからぁ!」
引き戸のガラスがみしみしと音を立てる。今にもこの扉が壊れてしまうのではないか、不安と恐怖が手に冷や汗を浮かばせ、押さえている扉の取っ手を滑らせる。何度も掴み損ねては必死に掴むを繰り返し、チョロ松は必死に叫んだ。

「もういい!質問とかどうでもいいから帰ってよーーー!!!」

叫び声に答えるかのように、扉を引く力は無くなった。急に軽くなった扉にバランスを失って転ぶ。したたかに腰をぶつけたがその痛みで冷静になることができた。その途端、一気に汗が吹き出てきた。
「はぁ…は…た、助かったあ…」
倒れたまま引き戸を見る。もう動かない扉にほっとすると、笑いもこみ上げてきた。
「あはははあ…ばっかみたいだ…あー…怖かった…」
こんなに怖い思いをするなら、テストで悪い点を取って笑われたほうがマシだ。もうこんなことやめよう、6つ子で争うなんて馬鹿みたいなこと考えるのもやめよう。
一頻り笑った後に立ち上がる。全身は汗と土埃にまみれてべたべたする。家の風呂に入ろうかと重い足を動かしたとき、後ろで音がした。
聞き慣れたこの音は、玄関の、鍵が開く音だ。

「え…?」

からからから、と軽い音を立てて引き戸が開いていく。開いた戸から滑り込んできた、夏の空気とは思えないひんやりした空気がチョロ松の肌を刺す。
「なんで、なんで…?」
泣き笑いのようなおかしな顔をしながら振り返る。涙が次から次に溢れて止まらないのは、本能がもう助からないことを感じ取ったからだろうか。
「どうして…」
扉の向こうに待ち受けていたのは、只、闇だった。外には街灯も門灯もあり、開ければそれなりに明るいはずだ。なのに、そこに広がっていたのは只の黒色だ。漆黒はぽっかりと口を開けて、チョロ松を飲み込もうとしている。光も何も通さない暗闇は少しずつ玄関を染めていく。チョロ松の周りを黒く染めながら、哀れな獲物を飲み込んでいく。
「あ…ああ…たすけて、だれか、かあさん…にいさん、だれか…」

「 き   た    よ   」

「うわぁあぁあぁあああああぁあああああああぁぁああぁああぁああああぁあああああぁあぁあああああぁああああああああああああああああああっっ!!!!!!!!」

外れた受話器と闇の中から、同時にあの無機質な音声アナウンスの声がした。
チョロ松の悲鳴は、二階に眠る親兄弟誰にも届かぬ儘に闇に飲み込まれていった。

朝、カラ松が居間でノートに何かを書きつけてる。暫く何か書いていたが、行き詰ったのかペンを置いてトド松に声を掛けた。
「なあ、トド松。カケルくんの噂って知ってるか?」
「うん。今結構評判のやつでしょ?珍しいね、カラ松兄さんが興味示すなんて」
「演劇部の演目でな、夏だから怖い話をやろうということになって色々調べているんだ。確か、夜中の12時に44回0を押すって奴だよな?他に何か知っているか?」
カラ松の言葉に、携帯から目を離したトド松が違う違うと大げさに首を振った。
「違うよカラ松兄さん!それは掛けてはいけない電話番号って噂!カケルくんは0を4回だよ!」
「そうなのか、その掛けてはいけない電話番号って言うのは?」
「確か、その番号に電話をすると「何か」が迎えに来ちゃうんだって。それに連れて行かれたら、二度と帰ってこられないらしいよ!」
自分で言って怖くなったのかぶるると震える弟に苦笑を向けながら、カラ松はノートの噂を訂正した。
「しかし、2つの噂は随分似ているんだな。俺が話を聞いたガールも間違って覚えていたし、本当に間違えて掛けてはいけない方に電話する奴もいそうだ」
「カケルくんもそれも噂だと思うけどね…でも、それ怖くない?願いを叶えるはずが連れて行かれちゃうなんてさ」
「その話、良いな。貰って良いか?脚本係に教えてやりたい」
「良いけど何か奢ってね!」
楽しそうにはしゃぐ2人に、松代が首を傾げながら聞いた。
「ねえ、あんたたち。チョロ松知らない?」
「え、そういや朝からいないね」
「俺も見てないぜ、マミー」
「朝ごはんも食べずに何処に行っちゃったのかしら。全く…あら?」
松代は、玄関の黒電話の受話器が外れた儘になっていたことに気付いた。何かの弾みで外れてしまったのか、このままでは電話が受けられない。
重たい受話器を持ち上げる。そこからか細く息子の声が漏れ聞こえていたことに彼女は気付かなかった。
チョロ松は助けを求め続けていた。何も見えない暗闇の中から、必死に家族の下に帰りたいと声をあげていた。

たすけて…ここからだして…まっくら…まっくらまっくら…ここからだして…たすけて…たすけてたすけて…ここからだして……こわいよ…まっくらだよ…おねがい…いえにかえして…ここはこわいよ…まっくらだよ…たすけて…

気付かない松代が受話器を置く。か細く漏れていたチョロ松の声は二度と聞こえることは無かった。

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