絵画

お題:絵画/船木一松十四松小説

「十四松」
「あいあい!なぁに、一松兄さん!」

おれの一つ下の弟の十四松は、偽物か本物か、わからなくなる時がある。

 
 

***

 
 

「ただいま〜お兄ちゃん帰ったよ〜。見て見て〜市民ホールで絵の展示やるんだって」

ガラ、と今の襖が開いて長男がやってくる。時刻は15時過ぎ。今日は天気も良くなくてずっとおれは家にいたのだけど、我が家の長男、次男、五男は朝からどこかへ出かけてた。
帰って来た長男を見やると、いつものようにパチンコにでも行って来たんだと思う。心なしか残念そうなので多分負けたんだろうけど。
「おかえり。何?そのチラシ」
「パチンコの帰りに商店街寄ったら配ってた」
「あー。なんか見覚えあるかも。絵画展ってさ、結構前にもなかった?」
「あれは美術館が閉館するからって無料開放してたんだよ。そのあとすぐ取り壊されたろ」
居間にはおれの他に三男と末弟がいたため、長男がもらって来たその絵の展示の話題に切り替わる。きっとパチンコだけだったらチョロ松兄さんに小言を言われるから、話反らすためにもらってきてるんだとおれは思ってる。
「え〜そうだっけ?あんまり覚えてないなぁ。十四松兄さんがあの時足蹴に通ってたのは覚えてるけど」

「ね、そうだったよね、一松兄さん」

突然話を振られ、どきりと心臓が跳ねる。
「え…。あ…そ、そう…だった…かもね」
「え〜一松兄さん忘れちゃったの?あんなに毎日のように通って、兄さんだってよく迎えに行ってたじゃん」
「あ…あぁ…そう言えば…そうだったね」
「一松?どうかしたの?」
「いや、別に……なんとも…」
「変なの〜でも絵の展示とか懐かしいなぁ〜!本人なら覚えてるよね。十四松兄さん誘って行こうかな」

「ダメだ!!!!」

「!?」
「い、一松?」
「トド松…十四松は絶対連れてくなよ…。どうしてもってんならおれが一緒に行くから」
「びっ…くりしたぁ…。いきなりどうしたの一松兄さん」
「あ……。ごめん…急にデカイ声だして」
「まぁまぁ、いーじゃん。トド松も行きたくなったら一松誘えばいいだけだし」
「う、うん」
「一松も、十四松にはそこに行ってほしくないみたいだし、アイツには黙っておこうぜ」
「まぁ…僕は構わないけど」
「トド松は?」
「わかったよ。十四松兄さんには黙ってる」
「じゃあ決まり。一松も、それでいいよな」
「ん。ありがと…おそ松兄さん」

 
 

おれがこうも過剰反応してしまうのは理由がある。もう、10年近く前になるけど、俺達が中学へ行ってた頃の話だ。

当時、赤塚市には一つの美術館があった。大きさも広くはない狭い美術館だ。おれ達兄弟は絵とかに興味なんてさらさらなかった。まぁ想像しやすいだろうけど。そう…確かになかった。ただ一人除いては。
兄弟の中で十四松は、あの時はまだ泣き虫な時だったんだけど…あぁ、今では随分変わっちゃったけど、昔の十四松は泣き虫で、おれの後ろついて歩いていたんだよ。かわいいもんでしょ。そう?考えられないかな?まぁ、その泣き虫だった十四松が美術館に足蹴に通うようになったんだよね。理由?今から話すよ。
その赤塚市の小さい美術館は、地元の作家をメインに取り扱ってる所だったんだよね。どこかの有名な画家の絵があるわけでもないし、正直、人も全然入ってなかったから取り壊される事になったんだ。そうなると、今がチャンスとばかりに中学で社会科見学が行われる事が決定した。今までそんなのなかったのに急に、だよ。笑っちゃうよね。
各クラスの班ごとに広くもない美術館をうろうろする。飾ってある絵画や彫刻を美術的観点から見て感想を書けと言われたところで、そもそも中学生に美術的観点なんてあったもんじゃない。おそ松兄さんなんか、男性の裸体の石造見てこれモロ出しじゃん!とか言ってたらしいし。おれもそのくらいの感想しか抱かなかったしね。
そんな中、事件が起きた。
十四松のクラスの男子から「なぁ、松野」と声をかけられた。どの松野だよ、と返そうとしたが鬼気迫る顔でいて、その言葉を飲み込んだ。
「お前四番目の松野であってる?あのさ、十四松が変な絵の前で動かなくなっちゃったんだ。呼んでも肩揺すっても反応ねぇし。クラス違ぇし悪いんだけど、ちょっと見てやってくんない?」
話を聞けば、十四松が絵の前から動かなくなってしまったらしい。しかも様子がおかしいとのこと。不信に思ってその男子と一緒に十四松のもとへ急いだ。そう、そしてその場所に行けば、

そこにいたのは、呆然と一つの絵を眺める十四松がいた。

おれが現れたのがわかったのか、周囲で声をかけてた同じ班のやつらが、松野きてくれたのか、とホッとした声を出した。はいはい、だから松野じゃいっぱいいるっての。なんて軽口叩きながらぼやっとしている十四松に声をかけることにした。
「十四松?お前どうしたの」
後ろから声をかける。反応はない。
「十四松…?ねぇってば」
一歩踏み出て名前を呼ぶ。反応はない。
「十四松!」
声を荒らげて、肩を掴んでこちらを向かせ、た。途端
「え?なに?一松…?」
今初めて呼ばれていたのに気づいたような反応が返ってきた。
「お前…」
「?」
散り散りに「十四松、何回も俺達呼んでたんだぞ」、「十四松くんよかったー」など、弟の班員たちが安堵の声をもらしてた。弟はクラスメイトに心配されていたと気づいたようで、慌てて「ごめんね、ちょっとぼーっとしてたみたい」と謝っていた。
「…大丈夫なの?」
「なにが?」
「何がって…ぼーっとしてたって割には心ここにあらずって感じだったけど?」
「え…?そんなことないよ?」
「はぁ?お前この絵ずっと見てたろ」
「あー…」
そう言って十四松と共にさっきの絵に目を向ける。

黒い部屋に、黒いソファが一つ。ただ、それだけの絵だ。

なんの飾り気もない。黒い部屋の真ん中に黒い革張りのようなソファがあり、絵の両サイドには黒いレースの天蓋のようなものが見える。正直、気味が悪い感じ。作者には悪いけど、この絵のどこかいいんだかわからない。
「…この絵そんなに好きなの?おれにはどこがいいのかわかんないんだけど」
「んー…好きとか…そうゆうんじゃ…なくて」

「なんか…呼ばれてる気がして……」

「はぁ?」
絵に?お前が?どうゆうこと?
「…十四松…?お前何言ってんの?」
「あ、あはは…。ご、ごめん。変な事言ったね。あと、ありがとう。クラス違うのにわざわざ来てもらって」

その後、先生の集合がかかり、おれも十四松も自分のクラスに戻ることになった。
それから、だ。それから十四松は美術館に足蹴に通うようになった。この経緯を知ってるのがおれだけのせいもあって、十四松が美術館に毎日のように向かうことに関して、反対する人間は誰もいなかった。そりゃそうだ。普通に考えれば美術に関心が高まる事で反対する親兄弟なんていない。現に両親は、十四松が芸術に興味があるのかも、将来、すごい絵描きになるかも、なんて笑っていたくらいだ。
この時のおれは、「急に変な事言いだしたけど十四松はどうしたんだろう?」くらいにしか思ってなかった。この時点で、おれにもっと危機感があれば、良かったと今でも思う。今思っても仕方ないけど。
美術館の取り壊しが決まったのは、調度7月の下旬。蒸し暑い日々と、確か夏休み前最後のテスト日程が刻々と迫っていた時期。あぁそうだ。思い出した。美術館の取り壊しは、テストの最終日だったんだ。

「ただいま…」
「あぁ、一松おかえり」
「あれ…?1人?」
「そ」
居間に入れば、そこにいたのは三男1人のみ。6人兄弟なのに1人しか家にいないのも珍しい。
「…他のみんなは?テスト前で部活休みじゃないの?」
「部活ないからって遊び歩いてるよ。うちの馬鹿共」
また成績悪くて母さんに怒られるよ、と呆れたように三男は笑う。うちの長男、三男は帰宅部、次男は演劇部でおれが美術部。五男は野球部で、末弟が部活をあちこち点々としてる。テスト前なのに何やってるんだかうちの兄弟は。特に長男なんて部活に所属してないのに遊んでばっかりだしね。そこでふと、気付く。

「……ねぇ、十四松…見てない?」

うちの五男はテスト前で遊び歩くなんて滅多にしない。根が真面目なのか、休み期間はちゃんと家で勉強しているのが常だ。
「十四松?今日は学校でも会ってないけど…あれじゃない?また美術館にでも寄ってるんでしょ」
「……」
「一松さ、十四松があそこ行くのいい顔しないね」
「だって…あいつのあそこ行く目的何か知ってる?」
「?絵とか見に行ってるんでしょ」
「そう…なんだけど…」
「なら、いいんじゃないの…?」
「……十四松探してくる」
「え、ちょっと、一松!」

あれから十四松は、毎日のように美術館に通ってる。それもちょっとおかしいレベルで。学校が終わって部活もそこそこ…。あんな野球が好きな弟が、野球をサボって絵を見に行くなんてどう考えてもおかしかった。この事は、親はおろか兄弟達も全く疑問に思っていなかった。本人にも何度か言ったが、もうすぐ見れなくなるから今だけ、とおれの話を真に受けない。
家から徒歩10分くらい先の美術館。鞄を玄関に放り投げて、走る。走る。息を切らせて辿り着くと敷地前の大きな柵が目に入る。ふと腕時計を見ればまだ16時過ぎ。美術館は17時には閉まるから俺が迎えに来たって変な時間ではない。
どうしてか焦る。
弟にここにいて欲しくない。
それだけだ。理由はわからない。ただ、どうにかして、ここから離したい気持ちでいっぱいだった。はぁ、と一息吐き、そのまま俺は美術館に入館した。
簡易的な受付で会釈する。ここの受付のお姉さんとも毎日のように顔を合わせているせいか顔を覚えられたみたい。だってほら、同じ顔のやつが先に入ってるしね。双子か何かかと思われてる思う。玄関ホールから左。数枚の絵画が飾っている一角に弟はいた。ほっとする。
「十四松」
「……」
「十四松…聞いてんの」
少し離れた場所から名前を呼んでも無反応。最近はいつもこうだ。イライラする。いや、不安、なのかも。

「十四松!!!!」
「わっ!!」

苛立った様に声を上げて名前を呼ぶ。静かな美術館で声をあげたせいで、少ない客も驚いたようにこっちを見て来た。ただ、おれはそれどころじゃないけど。
「い、一松…」
「……迎えにきたから帰ろう」
「え…もうそんな時間?なんだ、まだ閉館時間じゃ……」
「いいから帰るよ」
「えっ…ちょっと…!」
腕時計を見てまだ16時過ぎだとわかった十四松は、まだ大丈夫じゃないとばかりに俺に笑顔を向けてきた。チラリと見た絵画は相も変わらず気持ち悪く、これがこいつの何を惹きつけてるのか疑問だ。ニコニコしている十四松の腕を掴んでそこから連れ去るように出口へ進んだ。
美術館から出ても握った手は緩めず早足に家への道を辿る。夕日が沈みかけて徐々に暗くなりはじめてる。今は夏だけど、ここらはあまり街灯がないから夕日が沈めば真っ暗だ。早く帰らなきゃ。
「…い、一松怒ってる?ごめんね」
「おれが何に怒ってるかわかってんの」
「…わかんない」
「わかんないなら謝らなくていいでしょ」
「……」
「わかんないまま謝られたって、嬉しくないし」
「……」
黙り込んでしまった。顔を見なくてもしょぼくれてそうだと言うのが空気でわかる。今のはおれが悪いかも。1人で焦って空回って…どうしてか十四松が遠くに行ってしまう気がしていたけど、何の根拠もないし…。兄貴ならもうちょっと広い心を持つべきだろうか。なんて思った。
「十四松」
「………なぁに」
呼べば一応返事はしてくれた。ほっと息をついて、後ろを、見やった瞬間、十四松の後ろに

 
 
 

ゆらつき 笑う 黒い影 が 見えた。

 
 
 

「!!!?」
「えっなに…うわ!」

慌てて握っていた手を引っ張り、バランスを崩した体を抱きしめる。呼吸が上がる。バクバクと、バクバクと、短距離走をしたみたいに鼓動が早い。何だ。今のはなんだ?幽霊?人影?違う。黒い靄みたいな物が…人の形をしていた?わけがわからない。混乱と恐怖でうまく呼吸ができない。おれと目があった瞬間、そいつは消えてしまったけど、何してた?何をしていた?もしかして

十四松に、触ろうとしてた?

「ッ……ぁ…」
「い、いちまつ?いた、痛いよ。急にどうしたの?」
ハァハァと肩で息をする。嫌な汗が背中を伝う。夏の暑さだからじゃない。心地の悪い脂汗が、ダラダラと垂れる。
「いちまつ?」
道端で急に抱き着かれた弟は、随分と困惑した様子でおれを見た。それもそうだ。だけど、だけどその時、おれはわかってしまったのだ。十四松があの絵に惹かれる理由も、おれがこんなにも危機感を覚えてるのも。オカルトじみた話なんて信じない。むしろこれ系統の話が好きなのはトド松だ。おれは一切信じてなかった。信じたくなかった。だけど、今の状況は明白だ。十四松はあの絵に気に入られてしまったんだ、と。同時に本能的にこうも頭をよぎる。

このままでは、連れて行かれてしまう。

「…じゅ、じゅうしまつ」
「なにぃ?も〜暑いから早く離してよ〜」
もぞもぞと腕の中きら脱出しようともがいてる。子供がおもちゃを取られないようにするみたいに、ぎゅうぎゅうと抱きしめていた手を緩めて、弟と向き合う。恐怖で口がうまく動かない。ただ、今しかない。今、言わないといけない。
「あのさ…おれと約束してくれない?」
「約束?」
「美術館に、もう行かないで」
「えー…?」
「あと、登下校も…おれと一緒にしよう」
「え?急に?んー…でもさ、行きはいいけど、部活はどうするの?野球部の方が終わるの遅いよ?」
「今、テスト期間でしょ。部活ないし。…いや、テスト終わっても、待ってる」
「うん…一松がいいならいいけど。でもなんで美術館行っちゃだめなの?」
「お前…連れて行かれそうだから」
「へ?」
「いやっ!なんでもない。忘れて」
流石に幽霊に連れて行かれそうとは、言えない。おそらく十四松はわかってないだろうから。

 
 

それから、おれは十四松といつも以上に傍にいるようにした。元から仲は良い方だし、登下校共にするくらいどうってことない。テストが終わる日…要するに、美術館の取り壊し日まで、十四松を1人にしなければおれの勝ち。1日、2日、と何事もなく日が過ぎていく。他の兄弟からは、急に過保護になったおれを見て、頭でもぶつけたのかとからかわれたが、そんなこと構っていられない。見えない相手との戦いだった。他の兄弟に言ったってどうせ笑われて終わるに決まってる。そう、他に頼れる人間がいない今、弟を守ってやれるのは自分だけだと思っていた。

 
 

(あっつ…)

そんな、美術館が壊される前の日の夜だ。物凄く蒸し暑い夜だった。目が覚めたのは本当に偶然。6人兄弟で同じ布団で寝ているせいで、夏の夜は暑くてしんどい。端に寝ているから手足を布団から出してもまだ暑い。仕方なく、水でも飲もうと体を起こすと…

「……?じゅうしまつ…?」

自分の反対側で寝ている弟はそこにいなかった。
気になって捲られた布団に触れてみれば、まだあたたかい。トイレかもしれない。そう思うのに真逆に心臓はバクバクとなる。今何時かと時計を見ようと窓側に寄った時、外に、自分と同じパジャマ姿を見つけた。

「あいつ…!」

慌ててバタバタと階段を下り、誰のかわからないサンダルを足にひっかけ家を飛び出る。
何やってるんだ。こんな時間にどこに行くんだよ。そう思うのに、あいつが行く場所はあの、美術館にだと確信していた。

「十四松!!」

美術館が見えた瞬間叫んだが、どうやったのか十四松は美術館の鉄製の柵の中にいて、そのままふらふらと玄関へ進んでいく。

「十四松!!ッ、はぁ!?うそだろ…?」

おれも同じように柵を開けようとした途端、ガシャンと大きく音が鳴る。手元を見れば頑丈そうな鎖が柵にはかかっていた。十四松はどうやってこの中に?見えない何かに妨害されてる気がして腹が立つ。意を決して柵と柵の間に足をかけよじ登る。当時のおれは今より身軽だったし、多少苦戦したもののそのまま美術館の敷地内に入ることができた。
この時点でだいぶ息も上がっていたが、体を引きずるように進み、美術館の扉に手をかける。しかし、意外にもその扉は簡単に開き、おれはバランスを崩しよろけながら美術館に入った。
(十四松…)
探すのは弟だ。うっすら暗い室内。月の光もあまり入らない美術館の中を、記憶を頼りに進んでいく。足元に光る非常灯が心許ない。
キョロキョロしながらあの、絵の元に進めば案の定、黄色いパーカーの弟の姿がそこにあった。しかも、その絵の前に倒れて。
「十四松!?」
弟が見つかった安心感と、倒れているという異常事態で慌てて駆け寄った。肩を揺すりながら何度か名前を呼んでいると「う、」と声が返って来た。よかった。無事だ。
「十四松、十四松。大丈夫?立てる?」
「……」
ゆっくり目が開き、ふるふると軽く頭を揺すると大丈夫と言うようにこくりと頷いた。それを見て少しだけ安心し、無理をさせてるかもと思いながらも、手を引いてその場をそそくさと離れる。
その時どうしてか名前を呼ばれた気がして、チラリと、暗がりの中後ろを振り返り、絵を見やれば……

絵の中の黒いソファに、誰かが座っていたように見えたのをうっすら覚えてる。

 
 
 
 
 

そう、これが10年くらい前の話だ。
あの後、十四松はぱたりと美術館には行かなくなった。そのまま美術館は壊され、おれは今まで生きてて一番安心したんじゃないかってくらいほっとした。朝になってから夜中に美術館に歩いて行った事を十四松に聞いても覚えてはなかった。未だにおれも、あれは夢だったんじゃないかと思っている。
そんな、そんなことがあってからか、おれはどうにも美術館と絵画展が苦手だ。曲がりにも美術部員だったので絵を描くのは嫌いじゃない。ただ、見るのは違う。

「一松兄さんさっさと入るよ〜」
「……はいはい」

そんなこんなで、おれは末弟に市民ホールの絵画展に来ている。
正直、行くならおれが行くからと言ってしまった手前、今更行きたくないとも言いにくい。仕方なく大して興味もない市民ホールの前まで来てしまった。今回の展示内容は、
『赤塚市が産んだ、幻の作家 深高 ジュフィオ展』
だ、そうだ。
誰だって話だけどね。そんな作家はじめてきいたし、ジュフィオて?外人?ハーフ?赤塚にそんな人いたの?て、聞きたいくらい。
「こんな人いたんだね」
「赤塚市に外人の作家さんなんているんだね〜」
「苗字漢字だし、ハーフじゃないの?」
「あ、これ芸名で、ほんとは日本人なんじゃない?」
「ありえるわぁ」
ホール前の紹介ボードを見ながらどうでもいい話をする。あぁ本当。さっさと見てさっさと家に帰りたい。

「あれ?一松兄さん?トド松?」

そう思っていた矢先、一番聞きたくない声が聞こえた。慌てて振り返れば、野球のユニフォームを着ている十四松がそこに立っていた。
「じゅ…」
「あ、十四松兄さーん!野球の帰り?」
「そうだよ!二人は?」
「これから絵を見に行くんだよ〜。あ、そうだ。十四松兄さんも来る?」
「行くー!」
「ちょ、まっ…」
「あ。」
待って、と言おうとした際に、末弟は自分の失言に気付いたのか、おれの方にごめんねと言う顔をしたあと十四松に向き直った。そのまま申し訳なさそうに言葉を続ける。
「トッティ?」
「あ、あのね…十四松兄さん、一松兄さん…あんまり十四松兄さんをこうゆうところに連れて行きたくないみたい、なんだよね。ノリで今誘っちゃったんだけど、ここには…」
「え……ぼく、行っちゃだめなの…?」
「あ、えーっと…だ、だめってわけじゃ…」
「ねぇ、一松兄さんだめなの?ぼく行っちゃだめ?」
3人で遊べると思ってテンションが上がっていた弟は、目に見えてしょんぼりしており、捨てられた子犬のように悲しい顔をこちらに向けてくる。な、なんつー良心に訴える顔をするんだコイツは。
「わか…った…いいよ」
「やったー!ありがとう兄さん!トド松行こう行こう!兄さんも早く!」
悲しそうな顔に負けて了承する。末弟はやっぱり甘いとばかりにニヤついている。黙っとけ。
考えてみれば、あれからもう10年だ。おれが気にしすぎかも知れない。現に十四松は楽しそうにしてるし、きっと思い違いだ。
「さっきのジュなんだかって人、一人で結構作品作ってるんだね」
「確かに…でもよくわかんないオブジェ多いな」
小さい市民ホールの2区画を遣って展示会はされていた。1つは彫刻等のオブジェ、もう1つのホールで絵の展示をしているらしい。トド松は絵より形になってる方が面白いじゃん!と、彫刻コーナーを先に回ろうと提案してきた。数は結構なもので、見回るだけでも意外と面白い。バカにしたもんじゃないな。
「ボクあんまり絵に興味ないけど。あっちの方行ってみていい?」
「いいけど」
トド松が小さなパンフレットを見せてくる。壁に沿い…L字のように絵が貼られているような小さい地図を見る。絵は…10枚ないくらいか。すぐ見終わりそう。本当にそろそろ帰りたくなってきた。絵を見るとかテンション下がる。そんな事を思っていた途端、トド松から不穏な言葉を聞いた。

「あれ、十四松兄さんいなくない?」

「ッ!?」
慌てて振り返ると、途中まで後ろにいたはずの弟はそこにはいなかった。部屋を見回す。いない。彫刻品を見ている客がちらほらいるくらいで、どこにもいない。慌てて彫刻コーナーを抜けて早足に絵画コーナーへ移動する。隣の部屋なのに随分と遠く感じる。心臓が早くなる。苦しい。

「じゅ、しま……ッ」

移動し、視界に入って来た光景に、息が、出来なくなった。
呼ぼうとした名前は途中で途切れ、その光景にただただ恐怖した。なんで。なんで、なんで、なんで、なんで。どうして、どうしてそこにそれがある。十四松が、いつかのあの日のようにぼうっと見つめる視線の先には…

 
あの黒いソファの絵があった。
 

「あ、なんだ。十四松兄さんこっちにいるじゃん。十四松にいさー…」
末弟の声を遮るように横をすり抜けて十四松の傍まで駆け寄り、右手を掴んで引っ張る。
「わっ!」
「えっ、い、一松兄さん?」
「帰るよ」
「ぁ、」
「ちょ、一松兄さん!?どうしたの!?ねぇって!」
「トド松には悪いけど、もう一緒に来てやれない」
「えぇ?急にどうしちゃったの」
「………」
「後で説明するから。とりあえずおれ、さっさと十四松連れて帰りたいんだけど」

睨む様にその絵を見ると、淡い水色の…そう、部屋着のような恰好の少年が、その黒いソファにうずくまるようにして座っていた。なんだ、これ?違和感と共に、そこに描かれている服装に、見覚えがあった。いや、ちょっと待て、まず…このソファには、誰も座っていなかったはずじゃ…?
「帰ろうか!」
不思議に思ってじっとその絵を見ていると、それまで黙っていた十四松が急に明るく言い出した。
「え〜十四松兄さんまで〜。もういいよぉ。そしたら帰ろ」
兄2人が帰ると言い始め、完全に臍を曲げた末弟は渋々と言った様子で出口へを歩き始めた。末弟のこの反応…後で次男でも誘ってリベンジしそうだ。悪いことをしたかも。
心配で掴んだはずなのに、いつのまにか十四松がおれの腕を掴んでいて、はやく帰ろうと急かしてくる。絵に違和感を感じつつも、その場を後にするが、

 
「    」
 

市民ホールを出る時、名前を 呼ばれた気がした。

 
 
 
 
 
 

3人で市民ホールから帰ると調度夕飯の時間だったようで、上3人も既に集まっていた。3人お揃いでどったの?と長男が不思議そうな顔をしているのに、末弟が市民ホールの出来事と、行くまでの経緯を話していた。案の定長男はゲラゲラ笑い、次男はリベンジで連れて行かれる羽目になっていた。
ホールを出る時から家に帰るまで、掴まれた腕は離されなかったけど、十四松の様子も何ら変わったところはなかった。やっぱりおれの思い違いだったんだろうなと、ほっとする。それにしても、もう一生あの絵と出会うことはないと思っていたせいで随分肝を冷やした。何だか気疲れした。今日はさっさと寝てしまおう。夕飯の後は、誰かが買っていた酒を誰かが見つけ、いつの間にか飲み会が始まっていた。騒がしい兄弟をよそにおれは早々に床に入ることにした。

しかしその夜、あの時と同じことが起きた。

(あっつ……)

寝苦しくて目を覚ませば、次男がおれのエリアに侵入して来ていて、狭っ苦しいったらない。腹が立って軽く足を蹴ってやったが特にダメージは与えられてなさそうだ。
水でも飲もうと体を起こせば、どうやら長男が大の字でぐーすか寝ていて、この6人布団を圧迫していたらしい。どうせ遅くまで飲んでたんだろう。と、ここまでは問題なかった。だが、気付いてしまった。
おれの反対側の布団には、あの日と同じように誰も寝てはいなかった。

「……じゅうしまつ…」

声に出しても応える声なんてない。あの時と同じじゃないか、瞬時に、そう思った。そうしたらじっとしてなんかいられなかった。窓の張り付く勢いで外を見れば黄色いパーカーが一本隣の道を曲がるとこが見えた。そのままバタバタと階段と駆け下り、いつも履いているサンダルを足に引っ掛け後を追う。
走る。走る。それこそ心臓が破れるんじゃないかってくらいに走った。普段もっと走っておけばよかっただろうか。大きい通りを右に、そのまま直進して最後は左。その角に、市民ホールはある。
ハァハァと荒い息のまま、市民ホールに近づいてガラスの玄関を覗けば、中に黄色いパーカーが見えた。
(いた…!)
以前と違い柵はないが玄関には鍵が閉まっている。当たり前だろうけど。扉に手をかけ動かすがガチャガチャと音を立てるだけだ。この中に弟がいるのにと、気ばかりが焦る。中に入る手段はないかとホールを見回わろうと足を背けた瞬間、ガチャリと、鍵が開く音がした。何故、という問いは、その時どうしてか出なかった。しめたとばかりに玄関を開けそのままホールの中に入る。暗い室内を、昼間の記憶に沿って進んでいく。彫刻エリアを抜けて、隣の部屋に。部屋と部屋の間に扉はないから、おそるおそる顔をのぞかせる。すると、

絵の前に、パジャマ姿の弟がうずくまっていた。

「十四松!!」
「えっ…」
「お前、またこんな時間に…早く帰ろう」
「え、だ、だれ…?」
寝ぼけてるのか?十四松はポロポロ泣きながらこちらを振り返るが、それは知らない人に怯えている子供のような反応だ。
「はぁ?」
「あれ…ぼくと同じ顔…?もしかして…」
「何言ってんだ?お前……何松と間違ってんの?おれは一松だよ」

寝起きの頭でもここまで歩いて来れば目なんて覚める。おれの顔みて誰とか、冗談にしても笑えない。はぁ、とため息をついて十四松と視線を合わせるように膝を折ってしゃがみ込む。そこで、ようやくおれは気付いたんだ。
今、この弟はパジャマ姿だ。
淡い水色のパジャマ姿で、靴もはいておらず裸足だ。家からの距離を歩いていたはずなのに、足の裏は汚れていない。それこそ、ずっとここに居たのかのような綺麗さ。不安げな顔をする弟の頭を撫でてやれば未だに少し怯えが見える。待ってくれ…おれがここまで来るとき追いかけて来た弟は、何を着ていた?
曲がり角を行く姿、ホールに入っていく姿。あの時、弟は黄色いパーカーじゃなかったか?

「え…いちまつ…?いちまつなの?」

様子が、おかしい。おれが一松だとわかると、十四松は安心したのかふにゃりと眉毛を下げ更に泣き出した。ポロポロ泣く姿が痛ましくて、軽く肩を抱いて安心させるように背中を撫でる。喋り方、仕草、それこそ、昔の十四松みたいだ。
「いちまつ、ぼく、ずっと暗い所にいてこわかったよぉ。なんで、なんで、ぼくのこと置いていったの…知らない男の子と間違えるなんてひどいよぉ」
「知らない…男の子…?待って…なんの話、してるの」
突然身に覚えのない話をされて困惑する。いや、身に覚えは、ある。10年も前に起きた、あの出来事。おれは…弟の手を取って…?
思い出せ、思い出せ。あの時俺はパジャマ姿の十四松を追いかけて美術館に入ったはずだ…。帰り…帰りは…どうだった?あの時、黄色いパーカーの弟を…おれは連れて帰らなかったか?
嫌な予感がして、ゆっくり、ゆっくり、顔を上げる。その絵を見ようと、ゆっくり顔を上げれば、

そのソファには、誰も座っていない。

頭を叩かれたような衝撃が走った。おれが、今まで弟と思っていたものは誰だ?弟じゃない?おれが、あの時手を掴んだのは十四松じゃなかった?本当の十四松はこの絵に入っていたってこと?嘘だろ?10年間?おれが?おれが間違えたから?おれが間違えたから弟はたった1人で……?嫌な汗がボタボタと落ちる。走っていないのに心臓がバクバクと鳴る。
「いちまつ?」
今ここにいる十四松は本物か? 泣きべそかいておれの裾を引っ張る、怖がりの弟。怖がる弟をぎゅっと抱きしめる。「お前、十四松なんだよな?」と、口を開こうとした瞬間、後ろから、ペタ、ペタと足音が鳴った。
跳ねる体を抑え、腕の中で怖がる弟を抱く力を強める。なるべく、カタカタ震える弟を安心させてやるように。
ゆっくり、ぎこちなく、顔後ろへ向ける。振り返りたくない。振り返りたくない。後ろにいる誰かを確認したくない。息ができない。肩で息をするように、上手に呼吸ができない。でも、このまま振り返らずになんていられない。覚悟を、決めろ。ゆっくり、ゆっくりと振り返る。
最初に目に入るのは、黄色いスリッパ。徐々に、視線を上げていく。
青の短パン、黄色いパーカー、緑色の松のマーク、その…先の、顔は、顔、は…?

 
 
 

『アハっ、ばれちゃった?』

 
 
 

この黄色いパーカーは、一体誰だ?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

目が覚めると家族がいた。

どうやらおれと十四松は市民ホールの中、朝出社してきた職員さんに発見されたらしい。大人二人が絵の前で倒れてて大層驚いたそうだ。そりゃそうだよね。昨日同じ顔が3人もあの空間にいたせいで、職員さんがおれ達の顔を覚えていたらしい。ホールの隣に住んでるおばさん、その隣に住んでるおじいさん…というように家を渡っておれたち兄弟の事を知ってる人まで辿りつき、そこから実家に連絡が行ったらしい。なんだろう。田舎あるあるみたいな感じだよね。とりあえずホールの事務室のソファで寝かされていたおれ達の元に家族が集まって賑やかになってきた声で目が覚めたという流れ。

「一松!目が覚めたの?」
三男の声で意識が覚醒して、ゆっくりと体を起こしたが頭が鈍く痛かった。二度寝してから起きたような鈍い痛み。
「……」
「一松大丈夫か〜?お兄ちゃんすげぇびっくりしたんだけど。電話取ったら『松野さんのお宅ですか!お宅の息子さん2人お預かりしてます!』だよ。小学生じゃねぇんだから」
「あはは、でもびっくりしちゃったね」
「本当だよ。なんだって2人してこんなところに」
「一松?どうかしたか?」
「…十四松…どこ?」
兄弟からかけられる言葉より、気になるのはあの時必死に抱きしめた弟だ。黄色いパーカーを着ている十四松が近づいてくる時、瞬時にアレは弟ではないと感じた。アレは…誰だったんだろう。
「十四松、十四松って…お前本当過保護ね。ほらそこ、十四松ならそこで寝てるよ」
「…」
視線を動かせば今寝ているソファの向かいのソファに十四松は寝ていた。ゆっくり立ち上がって弟が寝ている反対側のソファまで歩いて行き、その場でしゃがみ込む。どうやら普通に寝ているみたい。よかった。何ともなさそう。はぁ、と安心して息を吐けば、ふるふると瞼が震え眠たげな瞳が開いた。
「十四松…?起きたの?」
「ん…いちまつ…?」
「おー!十四松も目、覚めたの?」
「十四松兄さん!大丈夫?痛いとことかない?」
おそ松兄さんとトド松がわっと十四松の周りに集まって来た。それを見て十四松は一瞬驚いたようだが、「だいじょうぶ〜」と笑っていた。その驚いた顔に一瞬の焦りが見える。嫌な予感がした。

「十四松、いい。よく聞いて。そっちからおそ松兄さん、トド松、後ろにいるのがカラ松兄さんとチョロ松兄さん」
「…うん、わかった。いちまつ…にいさん」
「いい子」
やっぱり、と思う。昔の様に頭を撫でれば嬉しそうに弟は笑った。

「え?一松?今の何?何の確認?」
「チョロ松兄さんは気にしなくていいよ。ちょっと混乱してそうだったから確認しただけ」
「混乱…さながらコンフューージョ…」
「カラ松兄さんそうゆうこと言わなくていいから」
「とりあえず朝飯食ってねぇし、お兄ちゃん腹減ったわ〜。十四松平気なら連れて帰ろうぜ〜」
「それもそうだね。十四松大丈夫?」
そう言われれば腹も空いてくる。寝ていた十四松を見れば、顔色も悪くないし、大丈夫そうだった。
「う、うん!だいじょうぶ!」
「立てる?おれ、おぶって行こうか?」
「大丈夫!歩けるよ!」
「え。一松兄さんどうしたの?十四松兄さん構いたい病なの?」
「いいじゃないか、素晴らしい兄弟愛さ」
「じゃ、手繋ごうか。ね、十四松」
「うん」
「えぇ!?なんなの?どうゆうこと?気持ち悪っ!」
「ま、まぁ…いいんじゃないか?」
「いいの!?あれで!!?成人男性で同じ顔が朝っぱらから手を繋いで歩く!?」

次男と末弟の外野の声なんて気にせず、おれは十四松の手を引いて歩き始める。事務室を出て玄関へ向かう。その途中、あの絵の前を通らなきゃいけない。距離が、縮む。朝日が差し込む市民ホールを警戒しながら、おれは十四松の目を、空いている自分の手で覆って下を向かせた。
「なっなにっ」
「ここ出るまで、周り見ちゃダメ」
ぴしゃりと言い聞かせれば、十四松は大人しくおれの言うことに従った。怖いのか、繋いだ手をぎゅっと握りこまれたけども。
「朝飯何がいいの?母さんにリクエストする?」
「ダメだって。どうせトド松がおしゃれ〜な事言い出すから」
「はぁ?ナニソレ、聞き捨てならないんですけど!」

兄弟と共に絵の前を通り過ぎる。何もない。ちらりと最後に見たその絵画の黒いソファには、だれも座っていなかった。

 
 

***

 
 

そんな事件からもう暫く経っている。あの日1日少し勝手がわからず困った素振りを多く見せていたが、次の日には…いつもの十四松に戻っていた。野球やら素振りやら、おれの猫探しにも付き合ってくれる。普段となんら変わらない弟。
あの出来事は現実だったんだろうか。未だに科学的に証明できないことが多すぎる。もし、今の十四松が本当に絵の中に閉じ込められてた存在なら、今までの十四松と変わらないなんてことありえない。なら、今まで暮らしてた十四松はなんだったんだ?

もしかして、全部おれの夢だったとか?

 

「十四松、猫の餌やり行くけど来る?」
「あいあい!行く!」
 

なぁ、あんたは今のコイツのこと、どっちだと思う?

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