川辺にいたもの

お題:川/くろひつじ十四松トド松小説

「ごめんね」
 目の前には沢山の気泡。濃い緑を映した水の中で、その声は周りに反響しつつもしっかりと脳みそを揺さぶった。
「オトモダチに、なりたかったんだ」
 抗えないような水の流れの中でそんな声を聞きながら、僕の身体は流れを受け流しながら横へと引きずられていく。

 そんな夢を見た。
 ーー何?今の夢…。
 起き上がると既に朝で、両サイドにはそれぞれの寝相で未だ眠る兄達の姿。二度寝をする気にもなれなくて、僕はそそくさとツナギに着替えた。
 妙にリアルで、変な夢だった。
 水の中で声を聞くなんて、そんなこと出来るわけない。
 汗をかいて忘れよう。ちょうど良い天気だし。
 そう思いながら、僕は朝のランニングをしようと家を出た。

 

 ランニングから帰って、シャワーを浴びて、朝ごはんを食べようと居間へ行くと、みんなさすがに起きていた。
「トッティおはよー!どこ行ってたの?」
「おはよー十四松兄さん。ランニングしてきたんだ」
 眠そうな兄弟が卓袱台を囲むの中、十四松兄さんだけはやたら元気だった。
 朝食を食べ始めると「ああそうだ」と母さんが僕らに声をかける。
「ねぇニート達。今日は法事に行かなきゃいけないんだけど」
「法事ぃ?」
「そ。遠い親戚にあたる人で、確か前行った時はトド松を連れて行ったと思うんだけど」
 親戚の名前と地域を聞いて、ああーと思い出した。
 確か中学生とかその辺りだったと思う。
 兄さん達はみんな部活とか面倒くさいとか、そんな理由で嫌がってて、結局その田舎に行ったことのない僕が兄弟代表で行くことになったんだ。
「どうする?二人までなら連れて行けるんだけど」
「えー面倒くさいよー」
「お経聞いたりするんでしょー?」
 ニートで暇なくせに、面倒くさいと喚く僕らを見越していたのか、母さんのつぎの一言は兄弟全員の目覚ましにはぴったりだった。
「お経が終われば、ご飯もお酒も飲み放題よ?」
 全員の目の色が変わった瞬間だった。

「ご飯もお酒も飲み放題とか、ウソばっか…」
「あははー母さんは策士っすなぁ」
 緑の濃い山々を背景にした平屋の一角で、僕と十四松兄さんはぜぇはぁと息をつく。
 朝食後の熾烈なじゃんけん大会で勝利したのは、僕と十四松兄さんの末弟二人。
 散々恨み言を聞かされながら家を後にし、父さん母さんと共に電車を乗り継いで、東京とは思えない山村までやってきた。
 普段着ない礼服に十四松兄さんがはしゃいじゃって、ちょっと大変だったけどね。
 親戚の家に着き、痺れる脚を我慢して読経を聞き終わり、ようやくご馳走だ!と思ったら、やれ料理を運べお酒を運べとこき使われる始末。
 ーー労働要員だったのか。
 母さんめ、と思いつつも、自然の多い場所に来るのは嫌いじゃない。
 のどかで、田んぼがあって、静かで。僕らの生まれたような都会で、おしゃれなビルの街並も好きだけど、こういう緑のある場所もやっぱり落ち着くもんだ。
「あら、二人ともこんなところにいたの?」
 炊事場近くの縁側で休憩していたところに、黒い着物の姿の母さんがやってきた。
「もー母さん!ご飯もお酒も飲み放題とか言っといて!僕も十四松兄さんも何にも食べれてないんだけど?!」
「働かざるもの食うべからずよ!」
「ひっじょーにキビシイ!」
 ぴしゃりと言われては立つ瀬が無い。
 ぶーぶー文句を言うと、やれやれという顔で
「お父さん達のタバコがなくなっちゃったから、ちょっと行って買ってきてくれないかしら?買い物から帰ってきたら、残ってるご飯とお酒を頂きなさい」
 そう言われ、最後の任務だー!とばかりに重い腰を上げる。
 お金を受け取るしな、ふふ、と母さんが何か思い出したように笑った。
「そういえば、前来たときもトド松にお使い頼んだのよね」
「え、そうなの?」
「そうよー。でもアナタったら、川辺で遊んでたら落っこちた!って、ずぶ濡れになって帰ってきたの」
 母さんが笑いながら、今度は寄り道しないのよ、と言って部屋の中に入っていく。
「川に……?」
 頭の中で何かがチリリと音を立てる。
 ごぼごぼと口の中に水が入って息苦しくなる感覚。
 水を吸って重くなった制服。
 冷たい水面の下から見上げた空は、そうだ、やっぱり青かった。
「……トッティ?」
 声を掛けられてハッとした。
「十四松、兄さん」
「どうしたのー?」
 兄さんは相変わらず口を開けたままの笑顔で、でも少し不思議そうな顔をしていた。
「う、ううん。おつかい、いこっか」
「うん!」
 おつかいだーおつかいだーとはしゃぐ兄さんと二人、僕は平屋を出た。

 その家から一番コンビニまで、川に掛かる橋を通っていかなければならなかった。
 遠い昔のことで忘れていたけど、母さんの話で思い出したかつての風景では、この橋に歩道などなくて、車が通る時は立ち止まって避けなければならないような狭さだったはずだ。
 今ではすっかり改修されて、歩道もあるし、車道との間には柵まで出来て安全だ。
「ああ、なんかすっかり変わっちゃったな」
「へー、そうなんだぁ」
 すっかり安全になった橋の歩道を十四松兄さんと歩きながら、そこから見える風景を一望する。
 かつては草が生い茂っていた川岸も、しっかりと護岸工事が施されて見る影もなく、なんだかちょっぴり切ない気持ちになった。
 のどかだった田舎も、時代に合わせて変化していくのだ。
 陽が傾いて少しオレンジ色に染まり始めた空が、余計にセンチメンタルな気持ちにさせた。
「そういえばトッティ、なんで川に落ちたの?」
 タバコを買って、お釣りでアイスを買って食べながら、再び橋を渡っている最中、十四松兄さんが思い出したように聞いてきた。
「うん、それなんだけど…」
 母さんの話と、今朝見た夢。
 その2つで僕は忘れていた恐ろしい体験を思い出した。
「法事がつまんなくて、川で遊ぼうと思って川辺におりたんだけどさ…」
 僕はそこで、小さな石がひとりでに、水面を蹴っていくのを見てしまった。
 不思議に思って見渡しても、あたりに人の姿はない。
 でも、不意に。川の中を何かがばしゃばしゃと音を立てて近づいてきた。
 見えない何かが、近づいてくる。
 僕は恐ろしくなって慌てて逃げようとして、川に落ちたのだ。
「……それで、流されたんだけど、上手いこと岸に戻って来れてさ。なんとか這い上がって、びしょぬれのまま家に駆け込んだんだ」
「ふーん」
 そんな話が終わる頃、ちょうどその橋を渡り終えたので、僕はなんとなく懐かしさに振り返った。
 十四松兄さんもつられて振り返る。
 あれはいったいなんだったのか。
 空の水色が白んで、辺りも少し西日で霞む。新しくなってそんなに年月の経たない橋が、その出来事を余計に遠くに感じさせる。
 もう、昔のことだ。
 なんて、家のある方へ視線を戻そうとした時だった。
 僕と兄さんは、橋の欄干にびしゃ、びしゃ、と手のひらサイズほどの水痕が、ひとりでに出来るのを、見てしまった。
 ちょうど橋の下から、ずぶ濡れた手が伸びたような、そんな感じ。
 その小さな水の痕は、徐々に近づいて欄干を越え、橋の歩道の上にまで登ってきた。
 見えない何かが、たぶんいる。
 僕の身体は金縛りでもかかったみたいに動けなくなった。
 べしゃ、べしゃ、と近づいてきて、その何かは囁いた。
 今朝の夢で聞いたあの声で
『待ってたよ。遊ぼう』
 そう言った。

 

 その後のことはよく覚えてない。
 十四松兄さんが言うには、僕が突然倒れてしまい、慌てて抱えて親戚の家に戻ったそうだ。
 気を失った僕を連れて電車では帰れないから、親類の人の車で運んでもらって家に帰ってきたらしい。
 そして、車で橋を通る際、橋の入り口に黒っぽい人影のようなものが佇んでいるのをみたそうだ。
 曰く、
「トッティを待ってるみたいだった」
 だそうだ。

 僕はもう、あの場所には行けない。

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